以前に切手コレクションのことを書いたが、いろんなところで実に様々な物のコレクションを楽しむ人が多いのに驚かされる。
突然日本に住む全く知らない人から、「ポルトガルのキオスクで売られている何々を送ってくれませんか?」などというメールが届くことがある。
フィギュアの一種らしいが僕には皆目判らないので丁重にお断りせざるを得ない。
セトゥーバルの蚤の市にもそんなフィギュアの山が置かれてあったりする。どこかのコレクターが放出したものだろう。
蚤の市にはフィギュアや切手、コイン、テレフォンカード、(昨年、帰国中にある人から貴重なテレフォンカードのコレクションを頂いた。「ダブっているものを」とのことであった。僕は別にテレフォンカードのコレクションはしていないが、出身高校の貴重なテレフォンカード等も混ざっていて大切に取っておこうと思っている。)
それ等の他に煙草のパイプ、ペーパーナイフ、万年筆など高価なもの、(リスボンのグルベンキャン美術館には江戸時代の印籠のコレクションが揃っている。)指貫のコレクション、キーホルダー、コルクスクリューバー、栓抜き、胡桃割り、デミタスカップ。
デミタスカップはいろんな窯元がそれ様に繊細な模様を施して売られている物もあるが、コーヒーメーカーのロゴ入り。時代によってデザインも変化するから集め甲斐があるのだろう。
それにサッカーチームのグッズ。
ジャズのレコード、今ならCDだろうが、何千枚と蒐集する。
映画のビデオ。録画するだけして観る時間がない。
いずれ暇ができたらゆっくり観ようと、深夜テレビを留守録で限りなく蒐集する。暇が出来る前にその重みで家の床が抜けるらしい。
日本ではぐい飲みをコレクションする人も多い。
コレクションにはかさばらないことが条件なのかも知れない。
ぐい飲みなら100個集めてもたいしてかさばらないが、土瓶を100個集めるには先ず蔵が必要だ。
でもそう考える人は蒐集家にはなり得ない。
浮世絵で日本でも有数で、国宝級のコレクションもたくさん集めていたある人の住まいは実に質素なものだった。という話を聞いたことがある。
僕も子供の頃から何でも溜め込むのが好きで、いろんな物をコレクションした経験がある。
切手は勿論、新聞の題字もコレクションしていたこともある。大手の新聞だけなら少しだが、業界新聞や地方新聞など集め甲斐はあった。海外の新聞まではその頃はまだ手だてがなかった。でもどれもこれもそれ程熱心ではなく、いい加減なものだったのだが…
日本ではかつて喫茶店のマッチをコレクションする人も少なくなかった。今は世界的にも禁煙の傾向だし、喫茶店でもマッチを作るところは少なくなっているのかもしれない。
ポルトガルでは店のマッチなどはあまりないのだろうと思う。それに「マッチのコレクションをすると彼女が出来ない」などという風評もあった。ある程度、当たらずも遠からずの様な気もする。
自分では集めるのも大変だし、管理も大変な昆虫のコレクションをしかけたこともあるが、すぐに断念した。
箕面(みのお)にあった昆虫博物館を見学するのが大好きだった。
今でもヨーロッパの昆虫博物館を訪れるのは好きである。例えばオランダの昆虫博物館の展示のセンスの良さなど観ていて飽きない。
蝶々のコレクションとはそれを標本にする訳だが、飛び回ったあとの蝶よりも羽化してすぐが色も形も美しい。採集に出かけてもなかなかそんな場面には遭遇できない。そこで自宅で卵から育てて羽化させる。
蝶の幼虫にはそれぞれ食べる植物が異なる。例えば国の天然記念物、ギフチョウの場合はカンアオイを食べる。カンアオイが新芽を出して上に向って伸びようとする時期に立ち上がったその葉裏に卵を産み付ける。産み付けた後、新葉は広がり葉裏は陰になり、他から卵は見えにくくなり保護になる。卵からかえった幼虫はカンアオイの葉を食べ成長する。(徳川の「葵の御紋」を食べるのだ。)実に自然界はうまくできているものだと感心する。ギフチョウの立派な標本を作ろうと思えば、まず自宅にカンアオイ畑を作らなければならない。
そのカンアオイも奥が深くて集め始めたらきりがない。
地域によりはっきりと種が異なり1万年も前から殆ど同じ場所から移動しない。だから地域差があり種類が多い。株元ぎりぎりに地味な渋い花を咲かせる。種(たね)は飛ばない。媒体は森のナメクジかカタツムリなのだ。
蝶をあきらめてカンアオイ蒐集に転向する人もいる。
カンアオイ蒐集からカタツムリ蒐集に向う人もいる。
カタツムリなどを集め始めた日には「マイマイ、マイマイ」などと口走って、他人から見ると気がふれたとしか思えない。
先日「3月から日本に帰る」と言ったら、僕たちのポルトガル語の先生、マリア・ルイス女史から「お願い、日本のペットシュガーを持って帰ってきて~」と頼まれた。コレクションしているのだそうだ。
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カフェでコーヒーを注文するとカップソーサーにペットシュガーが乗ってくる。
ポルトガルのペットシュガーはたいていがコーヒーメーカーのロゴ入りで、時々図柄が変るし、何らかの広告が入っていることもあって、デザイン的にも蒐集癖をそそる。
でも一旦、蟻がたかろうものなら大変な騒ぎになるのだろう。想像するだけで「止めておこう」と思ってしまう。空袋だけなら面白くない、やはり未使用が必要なのだ。
僕はコーヒーはブラックで飲むのでペットシュガーは残る。
そのままテーブルに置いてくることが殆どだが、何となく持ち帰ることもある。
一旦出されたペットシュガーはテーブルに残しておくとそのままゴミ箱送りになる。
勿体ないという考えと何となくデザインにそそられるのとで持ち帰る。
MUZは「みっともないのでやめといてっ」と言うが…
勿論蒐集までは考えていないが、幾つかが貯まっている。
マリア・ルイス女史はそれをコレクションしていると聞いて嬉しくなった。
ただ日本のペットシュガーはポルトガルの程は面白くはないのだろうと思う。あまり関心をもって眺めたこともないが。でも日本に帰国する楽しみ(仕事)がまた一つ増えた。
VIT
ポルトガルのペットシュガー
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(この文は2008年2月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに転載しました。)
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