「鉱山聞書」の著者赤穂満矩が奉斎したと思われる中岳山頂の猿田彦大神命碑の刻字を確認したかったので、八戸市の登山ガイド阿保彰司氏にお願いしたところ、2021年5月30日(日)に行く際に確認しましょうと快く受けていただいた。その結果である。1)写真
「仲間との山行で予定どおり中岳に登って来ました。生憎雨模様の天気で山頂で長居は出来ませんでした。石碑の刻字は浅く不鮮明で判読が難しく、また埋まっている部分については周りに大きな石が埋まっており簡単ではなく、十分な確認は出来ませんでした。」
推測するに、石碑が動かないように周囲をしっかり石を埋めて固めたので、以前よりさらに埋まった状態になり、「赤穂」までしか地上に出ていない。風化と苔で、判読が以前より困難になっているようである。
・いただいた写真より新に分かった刻字は、
側面 癸卯 天明三年
不老倉山中頭(?)□
・「安代の石碑」2)に掲載されている写真から新に分かったことは、
背面 出鉑増進
である。
よって 背面は以下のとおり。
出鉑増進
中嶽 赤穂氏
山内安全
注 引用文献
1. web. ブログ「私の山登りⅡ」登山ガイド阿保彰司2021年5月31日 (月)雨の四角岳・中岳
2.「安代の石碑 石碑調査報告書 平成9年度」安代町教育委員会∥編集 安代町教育委員会 1997.12 p37 石碑の写真 岩手県立図書館からコピーを入手した。
写真 中岳山頂の猿田彦大神命石碑(背面)と八戸山水会の皆様
「仲間との山行で予定どおり中岳に登って来ました。生憎雨模様の天気で山頂で長居は出来ませんでした。石碑の刻字は浅く不鮮明で判読が難しく、また埋まっている部分については周りに大きな石が埋まっており簡単ではなく、十分な確認は出来ませんでした。」
推測するに、石碑が動かないように周囲をしっかり石を埋めて固めたので、以前よりさらに埋まった状態になり、「赤穂」までしか地上に出ていない。風化と苔で、判読が以前より困難になっているようである。
・いただいた写真より新に分かった刻字は、
側面 癸卯 天明三年
不老倉山中頭(?)□
・「安代の石碑」2)に掲載されている写真から新に分かったことは、
背面 出鉑増進
である。
よって 背面は以下のとおり。
出鉑増進
中嶽 赤穂氏
山内安全
注 引用文献
1. web. ブログ「私の山登りⅡ」登山ガイド阿保彰司2021年5月31日 (月)雨の四角岳・中岳
2.「安代の石碑 石碑調査報告書 平成9年度」安代町教育委員会∥編集 安代町教育委員会 1997.12 p37 石碑の写真 岩手県立図書館からコピーを入手した。
写真 中岳山頂の猿田彦大神命石碑(背面)と八戸山水会の皆様
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