「牛頭天王」額の書を書いた公家の一條忠香と中山琴主との関係と伊豫軍印について何か情報が得られないかと思い、「一條忠香日記(原題・璞記(あらたまき))抄」を調べた。
「一條忠香日記(原題・璞記)抄」(大正4年 1915)
本書の緒言によれば
・原本は、随感随記とも見なさるべきものにして国事以外一家の私事にかかわるものすこぶる多し。それらは概ね省略せり。
・忠香 性温厚典雅古大臣の風あり。深く皇室の式微(しきび 衰え)を憂え、三條実萬、中山忠能の諸公卿と相謀る所あり。また一橋慶喜、細川慶順等皆姻戚の関係あるを以て、嘉永癸丑6年(1853)以降国事に関し往復せる文書はなはだ少なからず。しかれども当時嫌疑をはばかり火中して家に存するもの本書意外ほとんどなし。
・嘉永7年(1854)~文久3年(1863)の国事に関することが記されている。
抄を読んだ結果のまとめ
1. 国事で中山忠能とかなり頻繁に関係があったことが確認できた。しかし文人としての活動については私事に該当するためであろう、全く載っていなかった。
2. 中山琴主との関係は分からなかった。
3. 「牛頭天王」の書を入手した経緯や、「伊豫軍印」についても、何もわからなかった。
注 引用文献
1. 日本史籍協会叢書「一條忠香日記(原題・璞記)抄」(日本史籍協会 大正4年 1915) web. 国立国会図書館デジタルコレクション
「一條忠香日記(原題・璞記)抄」(大正4年 1915)
本書の緒言によれば
・原本は、随感随記とも見なさるべきものにして国事以外一家の私事にかかわるものすこぶる多し。それらは概ね省略せり。
・忠香 性温厚典雅古大臣の風あり。深く皇室の式微(しきび 衰え)を憂え、三條実萬、中山忠能の諸公卿と相謀る所あり。また一橋慶喜、細川慶順等皆姻戚の関係あるを以て、嘉永癸丑6年(1853)以降国事に関し往復せる文書はなはだ少なからず。しかれども当時嫌疑をはばかり火中して家に存するもの本書意外ほとんどなし。
・嘉永7年(1854)~文久3年(1863)の国事に関することが記されている。
抄を読んだ結果のまとめ
1. 国事で中山忠能とかなり頻繁に関係があったことが確認できた。しかし文人としての活動については私事に該当するためであろう、全く載っていなかった。
2. 中山琴主との関係は分からなかった。
3. 「牛頭天王」の書を入手した経緯や、「伊豫軍印」についても、何もわからなかった。
注 引用文献
1. 日本史籍協会叢書「一條忠香日記(原題・璞記)抄」(日本史籍協会 大正4年 1915) web. 国立国会図書館デジタルコレクション
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます