関西の古い鉱山である、石見銀山、多田銀銅山、生野銀銅山、吉岡銅山、別子銅山の史料で、「かなめ」を探した。最も古い記録としては、「猪名川町史第5巻」の多田銀銅山史料編多田銀銅山記録1(山内荘司文書)の「かなめ搥」であった。以下に多田銀銅山の関連する記録を示した。
1. 多田銀銅山記録1 寛文6年(1665)1)
・大口間歩出鏈極上品は、1駄36貫目に付き、銅12貫目余 滴銀1貫目余吹出し候由、これは、銀銅綴鏈と申す品にて、かなめ搥にひっ付候て砕けずと申し伝え、中上品1駄に付き、銅3貫目 滴り銀500目位、又中品にて同断に付き、銅2貫4~500目 滴り銀300目位吹出し候由に候。
但銅10貫目に付き、上中品平均凡500目余の滴り銀と相見え候。
2. 摂津国多田銀山御役所古来勤方大概 正徳6年(1716)2)
正徳6年(1716)銀山町の5軒ある吹屋のうち、2軒の吹屋建物の記録は以下のとおりである。
・吹屋六右衛門 棟数合5軒
家 表口 7間半 裏行 8間半
同 桁行 3間半 梁 3間
吹小屋 長 7間半 横 2間半
鉑砕場 長 5間 横 1間半
鉑小屋 長 4間 横 2間
炭小屋 長 5間 横 2間
・吹屋理兵衛 棟数合7軒
家 表口 15間 裏行 9間
同 桁行 7間 梁 5間
土蔵 長 10間 横 5間
吹小屋 長 7間半 横 2間
同小屋 長 5間 横 2間
鉑石小屋 長 6間 横 2間半
炭小屋 長 7間 横 2間半
鉑砕小屋 長 3間半 横 1間半
3. 「摂州川辺郡多田銅山覚書」中の「鉑石吹様之次第」寛延2年(1749)3)
鉑石吹様之次第 但鉑石1駄は36貫目に御座候。
・鉑石細にくだき篩にて通し置、鉑焼釜へ入れ焼申し候。----
考察
1.「かなめ」の初出は、寛文6年(1665)の多田銀銅山の「かなめ搥」である。但し、狭い範囲の調査であるので、もっと調べれば、更に古い時期のものが見つかる可能性がある。
搥は鎚(つち)であろう。「極上品の銅銀つづら鏈は、かなめ鎚に引っ付くので砕くことができない」とある。かなめ鎚という名が当時あったこと、かなめと仮名で書かれていたことが分かる。
2. 鉑砕場、鉑砕小屋 は、「はくくだき」と読むのではないか。「砕」一字で「かなめ」を表すとは、記されていないからである。
寛延2年の覚書では、「細にくだき」とあり、「かなめ」という語を使っていない。多田銀銅山では、「かなめ」という語はほとんど使われなかったと思われる。
3. 「かなめ」の初出は、奥羽の「からめ」より古いが、佐渡の「からめ」(1616)より50年も後である。鉱山開発は関西が古いにもかかわらず、「かなめ」の古い記録がない。
このことから、鉑石を砕くという意味の「かなめ」は、「からめ」が訛ってできたのではないかと筆者は考える。「かなむ」「かなめる」という動詞語は、日本国語大辞典や古語辞典に載っておらず、普通に使われる語ではない。鳥谷芳雄は、延享4年(1747)の石見銀山の「銀山覚書」に「かなめるとハ 石を去り鏈を細かにくたき候を申候」とみえることを指摘しているが、4)わざわざ定義を記している「かなめる」は、「からめる」が転訛したものと筆者は考える。時期的にもそう考えて妥当である。
「ナ」と「ラ」は、発音が似ており、「から」を「かな」と聞き間違いから出来たとも考えられる。
まとめ
1. 寛文6年(1665)多田銀銅山の「かなめ搥」が、「かなめ」の初出である。
2. 「かなめ」は、「からめ」の転訛した言葉であると推定した。
注 引用文献
1. 「 猪名川町史第5巻」多田銀銅山史料編 p362(猪名川町 平成3年 1991)
多田銀銅山記録1(山内荘司文書)は、寛文元年(1661)~元禄3年(1690)の事を、史料を引用しつつ年代順にまとめたものである。
2. 同上 p79 摂津国多田銀山御役所古来勤方大概
3. 同上 p647「摂州川辺郡多田銅山覚書」中の「鉑石吹様之次第」寛延2年(1749)
4. 鳥谷芳雄「かなめ石のかなめについて」季刊文化財112号56(島根県文化財愛護協会 2006)
1. 多田銀銅山記録1 寛文6年(1665)1)
・大口間歩出鏈極上品は、1駄36貫目に付き、銅12貫目余 滴銀1貫目余吹出し候由、これは、銀銅綴鏈と申す品にて、かなめ搥にひっ付候て砕けずと申し伝え、中上品1駄に付き、銅3貫目 滴り銀500目位、又中品にて同断に付き、銅2貫4~500目 滴り銀300目位吹出し候由に候。
但銅10貫目に付き、上中品平均凡500目余の滴り銀と相見え候。
2. 摂津国多田銀山御役所古来勤方大概 正徳6年(1716)2)
正徳6年(1716)銀山町の5軒ある吹屋のうち、2軒の吹屋建物の記録は以下のとおりである。
・吹屋六右衛門 棟数合5軒
家 表口 7間半 裏行 8間半
同 桁行 3間半 梁 3間
吹小屋 長 7間半 横 2間半
鉑砕場 長 5間 横 1間半
鉑小屋 長 4間 横 2間
炭小屋 長 5間 横 2間
・吹屋理兵衛 棟数合7軒
家 表口 15間 裏行 9間
同 桁行 7間 梁 5間
土蔵 長 10間 横 5間
吹小屋 長 7間半 横 2間
同小屋 長 5間 横 2間
鉑石小屋 長 6間 横 2間半
炭小屋 長 7間 横 2間半
鉑砕小屋 長 3間半 横 1間半
3. 「摂州川辺郡多田銅山覚書」中の「鉑石吹様之次第」寛延2年(1749)3)
鉑石吹様之次第 但鉑石1駄は36貫目に御座候。
・鉑石細にくだき篩にて通し置、鉑焼釜へ入れ焼申し候。----
考察
1.「かなめ」の初出は、寛文6年(1665)の多田銀銅山の「かなめ搥」である。但し、狭い範囲の調査であるので、もっと調べれば、更に古い時期のものが見つかる可能性がある。
搥は鎚(つち)であろう。「極上品の銅銀つづら鏈は、かなめ鎚に引っ付くので砕くことができない」とある。かなめ鎚という名が当時あったこと、かなめと仮名で書かれていたことが分かる。
2. 鉑砕場、鉑砕小屋 は、「はくくだき」と読むのではないか。「砕」一字で「かなめ」を表すとは、記されていないからである。
寛延2年の覚書では、「細にくだき」とあり、「かなめ」という語を使っていない。多田銀銅山では、「かなめ」という語はほとんど使われなかったと思われる。
3. 「かなめ」の初出は、奥羽の「からめ」より古いが、佐渡の「からめ」(1616)より50年も後である。鉱山開発は関西が古いにもかかわらず、「かなめ」の古い記録がない。
このことから、鉑石を砕くという意味の「かなめ」は、「からめ」が訛ってできたのではないかと筆者は考える。「かなむ」「かなめる」という動詞語は、日本国語大辞典や古語辞典に載っておらず、普通に使われる語ではない。鳥谷芳雄は、延享4年(1747)の石見銀山の「銀山覚書」に「かなめるとハ 石を去り鏈を細かにくたき候を申候」とみえることを指摘しているが、4)わざわざ定義を記している「かなめる」は、「からめる」が転訛したものと筆者は考える。時期的にもそう考えて妥当である。
「ナ」と「ラ」は、発音が似ており、「から」を「かな」と聞き間違いから出来たとも考えられる。
まとめ
1. 寛文6年(1665)多田銀銅山の「かなめ搥」が、「かなめ」の初出である。
2. 「かなめ」は、「からめ」の転訛した言葉であると推定した。
注 引用文献
1. 「 猪名川町史第5巻」多田銀銅山史料編 p362(猪名川町 平成3年 1991)
多田銀銅山記録1(山内荘司文書)は、寛文元年(1661)~元禄3年(1690)の事を、史料を引用しつつ年代順にまとめたものである。
2. 同上 p79 摂津国多田銀山御役所古来勤方大概
3. 同上 p647「摂州川辺郡多田銅山覚書」中の「鉑石吹様之次第」寛延2年(1749)
4. 鳥谷芳雄「かなめ石のかなめについて」季刊文化財112号56(島根県文化財愛護協会 2006)
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