TVが報じぬ小室哲哉「最後の言葉」は、介護問題の本質そのものだ
介護問題の本質は「実際に冷たい雨に濡れた人じゃないと、その冷たさがわからない」点です。
しかも、その雨の降り方は一様ではなく、横から殴りつけるような雨がふることもあれば、
突然“ドンピカガッシャン”と雷鳴がとどろき、ショック状態に陥ることもあります。
今回、「一人で抱え込まない方がいい」という意見をたくさんいただきました。
でも、それが難しい。傘を借りようと願ったところで、傘の借り方が実に難しいのです。
私も父のことがあったときに、「どうした? 話聞くよ。
言うだけでも少し楽になるかもよ」と優しい手を差し伸べてくれる友人がいました。
ところが、話すと余計にツラくなった。相手が気遣ってかけてくれる言葉と、
自分の心の乱れの齟齬が大きすぎるとでもいうのでしょうか。
遠い。とにかく遠くて
「ああ、もう人に話すのはやめよう」ーー、
そう思いました。
逆に、経験者だと何も言わなくても通じるものがあって。
ちょっとしたきっかけで、「実は私も……」などと告白しあい、
「お互い大変だな」といったたわいもないひと言で救われたり。
要するに、「介護」とひと言でいっても、家族の関係性、親(パートナー)の状況、
仕事の問題、金銭的な問題、自分の生活……etc etc
10人いれば10通りの状況があります。
しかも、介護の最終章は「大切な人を失う」こと。
そのすべてが、実に複雑に絡み合う。
どうほどいたらいいのかわからないほど、グチャグチャになり。
自分の頭と心と身体もバラバラで。出口の見えない廻廊に彷徨い続けてしまうのです。
介護する人と介護される人の“関係性の変化”も、しんどさのひとつです。
それまでは「父と娘」という絶対的な関係性が、変わってしまうのです。
小室さんが、「大人の女性」という言葉をつかっていたのも、
KEIKOさんとの関係性の変化へのとまどいがあったのだと思います。
寄せられた意見の中には次のようなものがありました。
写真は山吹の花 2018年4月撮影
山吹の 良きも悪しきも 選ぶ道 時過ぎ行くままに 急ぐ我かな