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明治23年に串本沖で発生したオスマン帝国軍艦の遭難事故に際し、
島民と日本国が乗員の救助や支援などを尽くした歴史が現在のトルコとの友好関係につながっています。
1.トルコ軍艦艦遭難慰霊碑
事故当時トルコはオスマン帝国の時代でした。
2.トルコ軍艦艦遭難慰霊碑の説明
3.トルコ記念館
4.トルコ記念館の説明
遭難事故後の目まぐるしい両国の国際情勢により、結局トルコとの国交はオスマン帝国滅亡後の1925年に正式樹立となりました。
その後の逸話として1985年のイラン・イラク戦争勃発のとき、イラン在留邦人の救出にトルコが危険を冒し航空機を派遣し、
自国民に優先して日本人を搭乗させ無事帰還させました。
トルコ国民は国内で映画になったり学校の教科書にも載ったりした遭難事故時の日本の貢献と友情を忘れていませんでした。
5.樫野崎灯台
大島の東の先端に樫野崎灯台があります。
6.日本最初の石造り灯台
この灯台も潮岬灯台と同じ江戸条約で明治期に造られた洋式8灯台の内の一つです。
7.航海の難所
トルコの軍艦も遭難した海の難所です。
9.樫野崎灯台の歴史
江戸時代に選定された8灯台の内2か所が熊野灘だったことは、当時から海難事故が多い場所だったからなのでしょう。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
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