TVで料理屋さんの料理を見ると、
「いいから、フライパンごと出せ」
と
言いたくなる事もある。
なので、外食は苦手である。
なので、フライパン(直径約三十センチ)を
食卓に置いて食することもある。
勿論、一人前で。
さて、
「フリーで稼ぐ人に「高学歴者」をあまり見ないワケ」(黒坂岳央)
には、強い違和感を感じた。
分析が鈍いから。
「高学歴者」(という言葉を使うこと自体、気が進まない)の感覚としては、
「上昇した」
という感触自体、希薄。
目の前を小さなそばをチマチマと食べ続けていたら、
「わんこそば証明手形」が出たような感じ。
或いは、
回るお寿司屋さんのメニューを一皿ずつ食べていたら、
大食い記録を作ったような感じ。
或いは、和牛を一頭買って……これ以上は、読み手の方々の満腹中枢を刺激してし過ぎてしまいそうなので、省略。
で、「わんこそば証明手形」を得たから、
「ホットドッグ早食い世界大会に出よう」
と思う方は稀でしょう。
今までの流れ(蕎麦屋さんでそばを食べ続ける)からあまりに乖離しているから。
今までの流れに従うならば、
・ちょっと写真、撮ろう、
・お会計をしよう、
・おやつは何を食べようか、
とかです。
人は、
今までの流れからあまりに乖離したこと(突飛な事)を、
したがる生き物ではない。
「高学歴者」(という言葉を使うこと自体、気が進まない)の感覚としては、
十代の頃、学ぶ場にいたから、学んだ。
学んだ結果、大学に進んだ。
大学に進んだ結果、……
という具合の……今までの流れの沿った水平移動の感覚が強い。
(英語の習得も、その一つ)。
上記記事にある
「優秀な人こそ、経営者やフリーになることでリスクを取って青天井に稼げばいいのに」
これは、
「高学歴者」たちの「今までの流れ」から、
あまりに乖離した事です。
お金より自己実現
よりも
「今までの流れ」との合理的連続性です。
その端的な例は、
グリゴリー・ペレルマン(Grigori Yakovlevich Perelman)。
フィールズ賞を辞退した唯一の人物として知られています。
もちろん、ミレニアム問題解決の賞金百万ドルも辞退。
この一貫した姿勢に共感を示す数学者は少なくないです。
「考える手間が増える」
という点に着目した共感。
(当方も、特別定額給付金十万円の使い道について、思案「させられ」ました。ドケチの当方にとっては、ありがた迷惑にも思っています。)
最後に、
努力するプロセスを楽しむ傾向
という一節にこう答えたい。
吾輩は、今の今まで努力をした覚えは、一度たりともない。
「料理」を作る・食べる・消化するに必要な手間・時間は、少しは費やしたものの……。
(by 京大法卒)