という評が、
二・二六事件 以前の軍内部に定着していた。
(当時、皇居内にゴルフコースがありました。)
さて、
山口部長が、赤坂護衛署の副署長を務めていたとき、愛子さんは学習院初等科に通っていた。学校の行き帰りの際、署員は護衛をしていたが、「愛子内親王殿下は時間にアバウトなところがおありで、40〜50分の遅刻もよくありました。その際、あまりに遅くて苛立ったのか、山口は私の目の前で“このクソガキがっ!”と言っていました」(皇宮警察関係者)
皇宮警察は、二・二六事件前夜の軍よりも、
天皇皇族に物理的に近い。
(皇宮警察本部は皇居内。かつての枢密院庁舎を使用。枢密院は戦前、天皇と極めて近い官庁でした。)
ならば、
皇宮警察の面々は、
天皇皇族の醜態を目の当たりにしやすいでしょう。
しかも、公務における天皇皇族の行動は、
秒刻みで設定(世界的に見ても時間管理や動作管理に、厳格)。
秒刻みに慣れた皇宮警察官たちにとって、
研鑽を積んできた皇宮警察官たちにとって、
「人間味ある天皇皇族たち」は、
皇室への失望・侮蔑を掻き立てたとしても、不思議ではない。
漢籍を介して思い描いていた中国
と
先例とアヘンに毒された実際の中国
との落差が
幕末明治期、人々の失望・侮蔑を掻き立ていたように。
二・二六事件では、
昭和天皇は断固たる態度によって、
軟弱なイメージを払拭し、
「強い君子」という理想像が生まれた。
しかし、「強い君子」という理想像が、戦争遂行の原動力となった。
で、敗戦により、
「強い君子」という理想像は、
破綻。
理想像と実像との乖離は、、、
破綻を招く。