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秀作。ただ、一点だけケチをつけると……像と像との距離が近い。

2020-07-27 23:51:02 | 文章の書き方・読み解き方
「永遠の贖罪」(A heartfelt apology) 
という


に登場する像への
当方の第一印象。

像についての詳報は、
『「少女像の前で贖罪する安倍像」をどう思いますか?』
に詳しい。

題名の
"heartfelt" は、
深く[切に]心に感じた;心からの,真情あふれた(sincere)  
和訳とは、ズレた意。
 
彫像「永遠の贖罪」(A heartfelt apology) 
対比の積み重ね。

そのポイントをいくつか挙げると、
・緑地の中に設置。
 もし、採石場に置いたならば、全く異なる解釈に至るでしょう。
 (ちなみに、司法系の人が映像媒体にて、友好的雰囲気の下で一般向けに講釈する際、背景に緑(草木)が入り込みがち)。
 緑(草木)の効果を、最大限引き出している。

・男女の対比
・大人・若もんの対比
 理詰めで作られている、というメッセージ。

・両者、視線は交わしていない。
 未だ端緒に過ぎない、という緊張関係の名残が、
 背景の緑(草木)と対比的。

・地べたと木の根っことの対比。
 共に、人工物の上に座っていない。
 (ルソー流に言えば)自然状態への回帰を示唆。

手の形の対比
 大人は、手を開いた状態、
 若もんの手は、握った状態。
 内心の葛藤が、握った状態の手に現われている。

 もし、若もんの手が開かないうちに、大人が頭を上げれば、
 元の木阿弥となる(日韓関係史はその繰り返し)

で、先程紹介した通り、
視線や手の形から伺える通り、
両者の内心には明らかなズレがある。

にも拘らず、両者の距離は、
知り合いとのソーシャルディスタンス(社会的距離) 
と大差ない。
つまり、
各彫像の姿・内心から生じる心理的距離
彫像間の物理的距離
との間に、

乖離がある。

なので、
この記事の題名にて
「像と像との距離が近い。」
とケチをつけた。


穏やかな線を「ややクセを残しつつ」紡ぎ、
(この記事で指摘した)様々な対比と細かな工夫を駆使して、
事の構造化して提示する、
彫刻家ワン・グァンヒョン
を、
当方は高く評価します。
 

ただ、
彫像「永遠の贖罪」(A heartfelt apology)
を見る前に、
予めルソーの著作を一通り読み込む事をお勧めします。

(もはや、文章の書き方・読み解き方ではなく、彫像の批評です。)


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