「読む」能力の欠如。
書く側から申し上げると、
書くコツは三つ。
・一文一文を短くすること
・読み手を想定すること
・簡潔に書くこと
・簡潔に書くこと
・一文一文を短くすること
中高でも習う事。改めて申し上げるまでもないでしょう。
・読み手を想定すること
当方の想定する読み手は、学士会会員程度。会員になる程度ならば、才能は不要です。
・簡潔に書くこと
冗長さは、そもそも美しくない。
他方、
簡潔さは、美しさを備えやすい。
(レンブラントを制作年順に見れば気付ける)
反知性主義者の特徴は、
「読む」能力の欠如。
「読む」能力の欠如を、言い換えると、
文字の羅列から、文意を解釈し(日本語話者の過半が出来ないこと)、書かれた意図・背景に辿り着く、、、という流れから外れる才覚に溢れている。
流れから外れぬようにする方策は、二つ。
一つは「読む」能力の涵養。しかしそれは、自己責任の範疇。当方の与り知らぬこと。
もう一つは、書き手が「懇切丁寧さ」で以て、流れから外れぬよう「神の手」を差し伸べること。
しかし「懇切丁寧さ」は、
冗長さと紙一重であり、
書き手の想定する「読み手」への不信の裏返し。
仮に「懇切丁寧さ」を探求したとしても、その探求の手間に比して得られる成果は……家電の取説制作力の向上程度。
Gettrでは
のような簡潔な文面に、
(関西弁で云うところの)シュッとした返しが来る。
(アフリカ諸国が「ワクチン」で辛酸を経験したことへの言及に、脱帽。指摘されて「そういえば、そうだった」気付くことができる。)
Gettrは、Twitterと異なり、
携帯電話番号なしでもアカウントを開設でき、
重箱の隅を楊枝でほじくるが如き言動は、見当たらず、
医療従事者界隈による攻撃(このせいで異議申し立てを繰り返すことになった)も見当たらず、
米国某サマースクールでの豆拾い競争の如き、対立のエスカレートも見当たらず(少なくとも「早く返信した方が勝ち」という、せせこましい勝利至上主義的な雰囲気ではない)、
重箱の隅を楊枝でほじくるが如き言動は、
Gettrではまず見かけない。
(翻訳記事の和文が「その語では、なーい」という例は多々あるものの……)
一方、twitterは、
簡潔な文面であっても、
「懇切丁寧さ」な文面であっても、
重箱の隅を楊枝でほじくるが如き言動が群がってくる。
隅が存在しないのに。
いずれにしろ、
Twitter社への不信感を抱くには、十分。
で、
が、どういう訳か跳ねている。
しかし、
「読む」能力が欠如しるならば、
何も得られないでしょう。
実際、コメントを付けている反知性主義者がいる。
当然、名を名乗ろうとすらしない。
反知性主義者の特徴は、
「読む」能力の欠如。
反知性主義者が耕作放置地の草木如く、情報プットフォームを破壊し続けている。
その結果、
簡潔な文面も「懇切丁寧さ」な文面も、
その供給量が、、、増える訳ない。
Twitter社買収表明&頓挫の影響なのか。
(リーガル系を含むTwitter社従業員に大きな変動があった、と聞く)
頓挫、ではなく、見棄てた、のかもれしません。
悪貨が良貨を駆逐する。
その懇切丁寧な具体例すら、
反知性主義者は読めないのでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます