当方の高校生当時、
名古屋圏在住のそこそこ成績の良い高校生にとって、
進む大学を決める=住む場所を決める、
でした。
名大は旧帝大とはいえ、イマイチでしたし、
南山も、私大としては中部圏最良ですし、当方の一族とも縁のある大学ですけど、、、当方は、神学部に進んで司祭になる気なんて、全くなかった。
当方の場合、京都市左京区(京大)・藤沢市(SFC)・国立市(一橋)から選ぶという状況。
嫌な罰ゲームだなぁ、
と当時は思っていました。
ところが、新型コロナウィルスの結果、
悉くリモート講義。
その結果、
何処に住んでいても、
大学の講義を受けられる状況になりました。
下宿代不要は、経済的に有難い話ですよ。
(雑に見積もっても、一年で国立大の授業料程度の節約になります!)
さて、
に
さっさと単位を取って、学位記を得て、次のステップへ進むための踏み台、という認識であれば、話は違ってくるでしょう。
講義も、試験も、ゼミも、リモートは、時間と体力の節約になって都合が良いかと(京大のようにキャンパスが広く、かつ、建物の林立する大学ならば、猶更……)。
今や、横との交流は、SNSの時代ですし。
(原稿執筆込みで日々、多忙な教官たちにとっても、移動を要しないリモートは、利点の多い仕組みかと。)
教官にとっても、
世界中のどこに住んでいても、講義ができる。
大きな利点です。
……キャンパスライフ?必要ですか?
ただ、学生相手にあくどい商売する人たちは、いました。
昼休みに講義室の立ち入って、学生に声を掛けては、色々なもの(仔細は不明)を持ちかける人たちがいました。当方のように上手く寝たふりする学生には、「あっ、寝てはる」とだけ言い残して、次の標的に移動していました。ツメが甘いなぁと、内心笑っていました(アラビア語圏のことわざ「寝たふりする者を、起こすことはできない」は、当方の好きなことわざです)。
しかし、講義室に誰もいない状況では、その手のあくどい商売は、厳しいでしょう。