直角二等辺三角形を使って、余弦定理を思い出したりする時間が必要だった。
さらに、確率の問題では、場合の数を重複無く、取りこぼし無く数えることが必要であるが、うっかり重複に気づかず計算してしまった。そのため、さいころの目の最小値が3である確率も、最小値が2である確率にずれてしまったので、大変である!
受験では、ケアレスミスをなくせということがよく言われる。
昨日の私の数え上げの重複も、ケアレスミスと考えることもできるだろうか?
私は少し違うと感じる。
試験問題にせよ、製品設計にせよ、有限の納期以前に、完了する必要がある。
そして、さまざまな問題を解いてやっと全体の問題が解かれたことになる。
そんな場合に、ケアすることは当然であるが、製品設計ではチームワークを生かし、結果の検証を必ずするので、問題の見落としは、当初の問題設定自体にある場合しか殆ど考えられない。そこで、設計の重点は検証方法と、最初の仕様検討に置かれるものである。
試験問題を解く場合は、自分ひとりで、もっとも多い点数を取ろうとするのが一般的な取り組み方。その場合、どうしても、意識や時間の軽重が生じてしまう。
そんな場合に、すべてケアするという意気込みだけでは、本番は闘えないのではないだろうか?特に、数学や理科の場合は。
やはり、そもそも数のようなものは、音楽の楽器を演奏する時の音感と同じで、正確に扱うには、センスを磨くとか鈍らないようにセンスを維持するといった、生の感覚のトレーニングが欠かせないであろう。
つまり、ケアレスミスというのは、普段の感覚のトレーニングや、センスの鈍感さの結果にすぎず、トレーニングも無く、生まれつきのセンスも磨かずに、ただ注意しようと思っただけでは無くせないものであると思う。
やはり、数学検定の準一級から順に、準備して、普段から少しずつセンスを維持したくなってきた。
1拍半フレーズや、2拍半フレーズといった、16分音符や8分音符ひとつずれたフレーズを演奏につかって何かを表現しようとする時に、センスを磨いていなければ、タイムを見失ったり、譜割りを見失ったりするのも、単なるケアレスミスではない!
そもそも、感覚の世界を広げることは、数学にせよ、物理にせよ、音楽にせよ、楽しいことである。
しかし、無理すると、何をやっているかわからなくなる。
感覚の世界の冒険は、慎重に準備してから行わないとならない。
プログラムを回路設計に生かして仕事をしていると、細かい計算はすべてコンピュータまかせである。計算ステップがずれたりするのは、デバッグしながら直したりしがちなのだが、できるだけ感覚を磨くためにも、デバッグをする前に、正しいアルゴリズムを手で書くことを心がけたい。
そのためにも、数学のトレーニングは、楽器同様、意味のあることだといえる。
さらに、確率の問題では、場合の数を重複無く、取りこぼし無く数えることが必要であるが、うっかり重複に気づかず計算してしまった。そのため、さいころの目の最小値が3である確率も、最小値が2である確率にずれてしまったので、大変である!
受験では、ケアレスミスをなくせということがよく言われる。
昨日の私の数え上げの重複も、ケアレスミスと考えることもできるだろうか?
私は少し違うと感じる。
試験問題にせよ、製品設計にせよ、有限の納期以前に、完了する必要がある。
そして、さまざまな問題を解いてやっと全体の問題が解かれたことになる。
そんな場合に、ケアすることは当然であるが、製品設計ではチームワークを生かし、結果の検証を必ずするので、問題の見落としは、当初の問題設定自体にある場合しか殆ど考えられない。そこで、設計の重点は検証方法と、最初の仕様検討に置かれるものである。
試験問題を解く場合は、自分ひとりで、もっとも多い点数を取ろうとするのが一般的な取り組み方。その場合、どうしても、意識や時間の軽重が生じてしまう。
そんな場合に、すべてケアするという意気込みだけでは、本番は闘えないのではないだろうか?特に、数学や理科の場合は。
やはり、そもそも数のようなものは、音楽の楽器を演奏する時の音感と同じで、正確に扱うには、センスを磨くとか鈍らないようにセンスを維持するといった、生の感覚のトレーニングが欠かせないであろう。
つまり、ケアレスミスというのは、普段の感覚のトレーニングや、センスの鈍感さの結果にすぎず、トレーニングも無く、生まれつきのセンスも磨かずに、ただ注意しようと思っただけでは無くせないものであると思う。
やはり、数学検定の準一級から順に、準備して、普段から少しずつセンスを維持したくなってきた。
1拍半フレーズや、2拍半フレーズといった、16分音符や8分音符ひとつずれたフレーズを演奏につかって何かを表現しようとする時に、センスを磨いていなければ、タイムを見失ったり、譜割りを見失ったりするのも、単なるケアレスミスではない!
そもそも、感覚の世界を広げることは、数学にせよ、物理にせよ、音楽にせよ、楽しいことである。
しかし、無理すると、何をやっているかわからなくなる。
感覚の世界の冒険は、慎重に準備してから行わないとならない。
プログラムを回路設計に生かして仕事をしていると、細かい計算はすべてコンピュータまかせである。計算ステップがずれたりするのは、デバッグしながら直したりしがちなのだが、できるだけ感覚を磨くためにも、デバッグをする前に、正しいアルゴリズムを手で書くことを心がけたい。
そのためにも、数学のトレーニングは、楽器同様、意味のあることだといえる。