メモリ設計の先輩から学んだ教訓

2009-05-04 | CMOS
基板に多数の信号線を(同軸/単線)ケーブルで半田付けする際には、
記憶を過信したり、ましてや、100点いつも取れない数学と同じように、
とりあえず一通りさっとやるって態度で挑むと、残念な結果になって
恥ずかしいぞ。。。

ということ。

予約制のマシンタイムで(数億円するSPANDNIX?のテスターで)新作のSRAMをテストするときに先輩が使う基板だったのだが、動かなかったので不安にさせてしまった。
急いでやるのはいいのだけど・・・
その場で先輩にデバッグしてもらって無難にテストは進んだものの、配線をたとえ一箇所でも彼に修正してもらっているときには、ホント自分が情けなかった。

要するに、自分で完答のチェックができていなかったのだ。

それ以来、ちょっと遅いと思われようと、緊急的で急かされない限りは(それでも
自分のペースが大事だが:これがなかなか身につかない)しっかり配線することに
している。
単純なんで、パズルのようで面白いからって、楽しんで早くできたって、
一箇所違っているだけでその楽しみの意味はなくなる。
楽しみを得るのは、
テスト系を組んで、データを無事取り終え、整理解析する段になってからにすべきだ。

このことから得られる教訓を少し抽象化すると、

すべての作業をある意味で「楽しんで」やるべきではないということである。

「好きなことをやれ、やることを好きになれ」とスタンフォードメソッドは教えるが、
「楽しんでやれ」とは言ってはいないではないか。

これは、大学への数学の宿題や学コンの提出時にもいえる事だ。
(もう解いて読むだけで、提出して名前載せるのに意味を感じていませんが)
対象はさらに抽象的で複雑になってはいるが、目指すところは同じ。
そこで到達につまづくのは、
結局単純な部分の処理のところで要領を得ず、
ミスしている自分に気づいていないから、
問題文を読み違えたり、条件を抑えたりなかったりしたまま、
突き進んでしまう(要反省)。

そういうわけで、中学高校レベルの課題を
まずは、灘中灘高で好成績をとるくらいの意気込みで、
しっかりトレーニングすることなどが、
大変有効だと思って、
私の場合これを実行している。

算数トレーニングでは、心理学のテストの様で
ちょっときついのではないでしょうか?

抽象化したものの扱いが向上することが出来るのなら、
そのアプローチ、精神的姿勢のようなものは、
実務の精度向上にも活きてくるはずと思う。

どの段階で「楽しみ」にしていいか・・・
これは経験しないとわからない。

先輩は今でもメーカーの先端のSRAMの開発部隊に系列社内ヘッドハンティングされてか、メモリ設計者として多くの先輩の中唯一生き残っている方であった。

ということで、さらに恥ずかしい思いとして記憶に新しい。

そのころはパソコンやコンピュータというものに、初めて触れたばかりで、業務で扱うデータが数値の羅列だけであり、
一方その前の自分は液体や固体や粉末という目に見えるものを1年間扱っていたし、オシロで波形をみて考えることくらいしかしていなかったどころが、
プログラムが入力で数値が出力という作業がいきなりきたときは、ホント、
ぞっとしたのであった。

それでもどうにかいやいやながら喰らいついて仕事をつづけたことで、
大嫌いだったプログラムやパソコンに対し、
貧乏人ながら、良い免疫が出来たので非常に良い経験だった。
私の高校時代を知る知人は私の変化に驚いたくらいだった。。。

同じ職場では、社員寮の同僚に刺激され、
CASLを独学し情報処理二種を取得したり、
C言語を独学して計算物理をかじったりした。
実はこの経験のおかげで、
理学部情報科学科のマシン語の単位や、
工学部電子工学科の形式言語理論の単位を
講義を聴講しただけで取って、
その単位のおかげで理学部物理学科の卒業単位を新聞配達業務をしながら揃えることができたのだったと思う。

私のようなものが、
経験ゼロから、
せいぜい講義聴く時間しかない状況で、
あの単位はそろいません。

すべて先輩達の前向きな日々の姿勢に好影響されてのことである
と思われ、
良い出会いに感謝するのみです。

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