工学部電子工学科に、小松明峰高校の文系クラスを卒業しただけで、独学で少し化学をそれなりに物理を学んで進学し、光物性の講座の門を叩いた私だったが、自分の物性の考察力のなさの原因として、化学の知識と経験の不足を思ったのが、1989年の夏だった・・・・
そして、6年半後、肺がんで父を亡くした後、二人の弟と、二人の妹が無事全員社会人になった暁、私は再度大学を目指し、今度はキチンと化学を独習しなおしたのだった。
結果として、化学は教養学部の基礎科学実験と、工学部のゼミナール実験で経験しただけとなった。滑り止めに東京理科大学の理学部化学科と応用化学科に合格し後者に入学金を納めたが、近くの国立に合格したら、進学振り分けのリスクを取る選択をした自己責任である。
しかし、依然として高校レベルの化学を奥深く、しっかりと理解し、概念のスムーズな運用ができるには至っていないことを自覚し、少しずつ折りあるごとに学習を続けているのが現状である。
失うものが無い私も、真摯な学問への姿勢だけは失いたくないと思っている。
急いでも、人類の科学工学に貢献するのは難しい、そもそも、何十年~100年のスケールで進歩してゆくのが人類社会であるし、難問題の多い現代においてはなおさらのこと、どうせやるなら駄目でもともと、じっくりしっかり、手抜き無しで勉強しよう。そのように思う次第です。
そして、6年半後、肺がんで父を亡くした後、二人の弟と、二人の妹が無事全員社会人になった暁、私は再度大学を目指し、今度はキチンと化学を独習しなおしたのだった。
結果として、化学は教養学部の基礎科学実験と、工学部のゼミナール実験で経験しただけとなった。滑り止めに東京理科大学の理学部化学科と応用化学科に合格し後者に入学金を納めたが、近くの国立に合格したら、進学振り分けのリスクを取る選択をした自己責任である。
しかし、依然として高校レベルの化学を奥深く、しっかりと理解し、概念のスムーズな運用ができるには至っていないことを自覚し、少しずつ折りあるごとに学習を続けているのが現状である。
失うものが無い私も、真摯な学問への姿勢だけは失いたくないと思っている。
急いでも、人類の科学工学に貢献するのは難しい、そもそも、何十年~100年のスケールで進歩してゆくのが人類社会であるし、難問題の多い現代においてはなおさらのこと、どうせやるなら駄目でもともと、じっくりしっかり、手抜き無しで勉強しよう。そのように思う次第です。