生き残る技術者とは?

2008-02-06 | 自然科学
技術に携わる自分として、「自分が有能だから、自分の力で、技術を駆使して、発明し、生産することができるようにした」と思えるように技術力をつけなくてはならないと、若輩ながら思っていたこともあったと思う。

今の私は、近年生命科学を学んだり、CMOSの特許を共同出願することになる回路案に気づいてその効果を実証できた後は、このように思うことは、実は本末転倒で、不遜、傲慢極まりないことであると感じるようになっている。

むしろ、「ひるがえってCMOS技術の方が、私の頭をそれ自身の進化に利用しているのであり、技術社会の中でその技術自体が自己組織化してゆくことが主体である」という逆転発想を、技術者が感性的に把握できる方が、むしろCMOS技術をより最大限に駆使できて、それから見返りを受けるといった事象が起こりやすいのではないだろうか?そう感じています。

生命システムにおいては、人間の脳と人間が自然の法則を利用して作り出し築いてきた技術体系とが、共に有機的に自己組織化しているのではないだろうか?

こういった視点から、老荘思想のいう「道」の観点、

全ての存在の母、本質が生まれ、存在者となる以前の、「無」の豊かさに帰って、

再度、個々の事象、法則、物象といった分節化した本質のばらばらな集合を、

混乱することなく注意しながら、

見直してみたくなります。

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