報道の自由は政治によってゆがめられたのだろうか.

2015-05-13 10:47:00 | 日記

「報道の自由」という問題は元官僚の古賀発言からわたしたちの耳にも伝わってきた.

でも,テレビのこのような報道姿勢は自ら生み出したことで あながち 自民党がと

声張り上げる種類のものでない.

表現の自由は特区のむかしに マスコミ界から権力に贈呈されていたのではないか.

少なくとも日本のマスコミは いかにして 権力側から特種を引き出せるかということを考えていた

だから 権力の犬に成ることに いささかの躊躇も無かったし 大方の成功路線といえる.

ひどかったのは 陸山会事件のわが国の報道姿勢である.

いかに相手が公的な立場で有ったにしろ 多数の検事を招集し 何十億の税金を

使って一人の政治家の政治活動を封殺してしまった.

これは 人権問題も花畑セ氏鋳物であるが 政治の幕が下ろされると何事も無かったのごとく

終結した.あの事件は何門も怪しげであった.仮勘定の処理すらわからない司法官によって

有在とされた秘書こそ迷惑な話だ

問題はそんな醜悪な司法事件がやみに吸い込まれていったことだ.「法の元の平等」など糞くら

えだ.この事件で警察庁長官の経歴で自民党に在籍したoo氏は先日の春の叙勲に輝いた.

報道とか政治とか国家の背骨が゛ぼろぼろ  国民が皺早稲に暮らせる日が来るのだろうか.