わたしは 国会論議を聴きながら どうやら 平和ボケしているのは国民ではなくて
政権与党ではないかと 考えた.
鮮明に記憶している 昭和18年12月18日 日米開戦の日である.
私たちは2時間目の休み時間に その放送を聞いた.
確か 5人でその放送を聞いていた E君が突然「馬鹿な戦争始めたものだ」
と言ったのが きっかけで 開戦支持者と不支持者の討論が行われた.
わが校は 海兵への合格者の全国一という訓人学校である.
しかし どういうものが 校風は意外と 自由闊達であった.
「何というこというんだ.そんなこと言ってると 非国民といわれるぞ」
都忠告のツモリで言うと e君は「お前たち 何で地理や歴史の勉強しているんだ
人口,国土,産業,資源,軍事力」どの点を見ても 日本がアメリカ一国で足元にね
お呼びつかないではないか.そんなところと戦争して勝てるはずがない.」
日本が勝つのには精神論だけである.
そのとき 私たちは日本の敗戦を予想した.予想しながら私が選んだ道は
日本帝国海軍士官への道であった
そのとき以来 わたしたちが教訓として 引き出したのは 国自体が戦争
していい国ではないということである
ただですら 現在の日本の財政状態はどうか 1050兆円.GDPの200%
以上の水準である.もう鼻血も出ない財政状態の中で 如何して軍備費を
捻出できるのか.
つまりは国費発揚というより 政権担当内閣の お色直しに国民は奉仕しなければならない
さほど差し迫った安全保障上の危機感があるという.
尖閣とか北朝鮮,のことか.だったら外交の問題ではないのか.抑止力に必要か.
外交は抑止力だけか.なぜロシヤのプーチンはドイツの首相に相談持ちかけたのか.
国としての信頼感ではないのか.首脳同士の個人的な友情は 冷徹な外交には
役にはたたない.国家としての重みの問題であろう.
国会で出たい県の中で 狩に政府が強行しても 司法が意見判断するだろう.
どうするんだという野党の追及を受けていた.