がん張らないで

2015-05-18 10:12:14 | 日記

 最近の病院の受付を見ると

「痛いときは痛いと医者に告げてください」という掲示がある.

私たちは 子供のころ 「少しぐらいの痛みは我慢しなさい」と

しつけられていたから 奇異な感じがした.

海軍入隊を前にして 足の魚の目が増殖して痛いのでこのまま

入隊したら 大変だと思い父に相談したら 自宅ですくに手術をすることになった

父は手術道具をそろえると 義兄を連れてきて 「之が暴れるから 押さえつけておけ」

といって麻酔なしの手術が始まった.そのときのことを思い出していた.

こんどは そんなわけには行かない.肺ガンの手術である.

80歳以上の手術は超高齢者手術といわれているそうだ.成功例は35%

と後で担当の先生から聞いた.

全身麻酔であるから 手術中のことはわからない.麻酔が覚めて暫くすると

がまんできないほどではないが 痛みが出てきた

あの張り紙を思い出した. 看護婦さんを呼んで 「゜痛いんだけど」おそるおそる聞いてみた.

看護婦さんはそっけなく『手術のあとですから 少しは痛みはありますよ」

といって取り合ってくれない.結局言いっぱなしに捨て置かれたがそのうち痛みも

取れた.肺気腫があるので 息苦しいとき主治医に尋ねると

「転移しないように

肺を二室切り取っていますからね.ちょっといく苦しいかも痴れませんが酸素ボンベを付けるまでのことはないと思いますよ.」

あれから5年再発の様子はない.「貴方は発見が早かったから良かったですよ.」

といわれたが やはりいたいのはいたから 痛いときは遠慮してはいけない.


自分の体をつねってその痛さを知る政治家ありや.

2015-05-18 09:43:52 | 日記

「不沈戦艦として」日本帝国海軍に燦然と 輝いていた戦艦大和は

アメリカの空軍の餌食になって あえなく 南海のモズクと消えた.

性あるものは潰え,形あるものは壊れる.

わたしは 安倍政権を見ながら いかに権勢を誇ろうとも やがて歴史のかなたに

消え去るものでろうと思う.

アベノミクスも異次元金融政策もしだいが生んだ星屑だろうか.

それだけならよいのだが..

これから先の 日本民族は こうした異常な政策の誤りを背負って生きていくのである.

70年前の反省を思うなら 先ず正負はわびねばならないのは やむわ得ないということもあろうが

事実゛として 政策の誤りによって 数知れないかけがえの無い人の命を奪ったのである

しかも,それがどんなに重いものが いまだ国民にも青マラ内だけでなく

人事みたいに弁明するから 国家の信用を傷つけているのである.

政治家は 己の功名心のために 国民を道ずれにしてはいけないのである.

しかし,人間のなすことである.だったらそのことを思うなら 面倒な手続き

いい加減にしてはいけない.

そこの認識が無いから 国民は不幸になっていくのだ.

 


幸福は足下に合った.

2015-05-18 04:50:52 | 日記

まだ 米の配給制度も 無かった.悪名高い物価統制令もなかった.

庶民の暮らしは それでも貧富の差はひどいものであっ.た.

三反百姓 なら まだましである.一反百姓の子沢山で 見るも無惨な暮らしをしていた.

浜辺の一角にはしらをたて 周囲をむしろで囲った家に 母方のいとこに当たる

重蔵叔父さんの家があった.『雨露を防ぐ』ただそれだけの役割しか 無かったようだ.

高潮で 浪の洗い日などは すんでいられるものではなかった.

『重蔵 おじさんたちを呼びに逝きなさい』とはは荷言われて 一家を呼んですごしていた.

長男の重己,次男の重喜は ほとんど 私といっしょに寝起きをしていた.ひとつには金が無くても

すごすのに不住の無い 温暖な気象に助けられていたのである.

投資の来たの国なんかは ひどいものであったらしい.人身売買も公然と行なわれていた.

とはいっても,白米など食べなれる家庭は少なかった.唐芋を煮干しにして「木っ端にして食べる.

毎日羊羹を食べているようなものだ.副食は大根汁朝5時ごろになると「網引きの呼び込み声

が町中に知らされる.民は 入れ物を持って 網引きに行く.

網があがると 一杯の海の幸が入っている 網もとの旦那一家の分け前を取り上げると

後は皆に分配される・.小魚あり,中には黒鯛.えび,かに,いわしなどである.

結構 貧しかったが自然の恵みにすくわれていた.

ここらあたりの人は 一旦 海神の怒りに触れること和忌み嫌っている.

宗教心が強く信心深い.助け合い 信心と感謝の暮らしを贈る.

朝な 夕なの昇る日沈む日に 深く頭わたれる.

の人達は とても明るいるつきの光の中を「ハンや節・や さのさ節など歌に踊りに

一日の無事と疲れを癒すのである

「乏しき和分かち合い 支えあう」暮らしが出来た次代である.