木曜日は 『 プレバト 』 の日!
いつき組の云うところの プレバト ナイト
Oh yeah ~
は
「 紅葉 日光いろは坂」
‥さて 、早速 ‥
第5位 色葉坂見る人の頬も赤く染め (20点)
色葉坂見上ぐる頬のあかあかと
本人が俳句を作った気になっているだけ
「色葉」を紅葉の別の言い方として載せている歳時記もある
そこに いろは坂をかけている訳だから ギリギリセーフ
ここから後が 本当につまならい
紅葉の下にいると頬が赤くなる とか
こういう発想は 陳腐の上の陳腐
キング・オブ・ザ・陳腐
(ぅお~! K・O・C!)
「染め」というのも凡人以下の人が すぐ使いたい動詞のベスト3
「染める」「舞う」「燃える」
「見上ぐ人の頬もの」
見上ぐるっていったら人に決まっている、頬が出てくるから人とは言わない
どうせ最下位だから「赤く染めあかあかと」くらいでいいんじゃない?
(すごいわ、先生)
良いラインじゃないかと
第4位 いろは坂車の波もいらだちぬ (40ー5点)
紅葉坂車の波もいらだたず
渋滞で苛立ったの?苛立ってないの?
「いらだちぬ」これは「いらだった」という意味
ここに書いてあるのは詠みたかった事と全く正反対
「いらだちぬたず」なら 苛立たないという意味になる
5点減点! 才能ナシ!
「いろは坂」は あくまでも地名
いろは坂にも 春夏秋冬それぞれの魅力がある
いろは坂で「秋だろ?」と言ったら その辺りの観光協会が怒る
いっその事「紅葉坂」くらいにして
そうしたら「いろは坂かもしれない」と
こう直したからといって 大した変わりは無い
日本人として心を入れ直して
間違えやすい 助動詞「ぬ」
いらだちぬ は「いらだたない」という打消しではなく
「いらだった」という完了の意味になる
助動詞の正しい使い方を知らないと全く別の句になりかねないので注意
第3位 渋滞も紅葉観ながらいろは坂 (42点)
渋滞も紅葉も名所いろは坂
どうして 「紅葉(こうよう)観ながら」と8音にするのか
「紅葉(もみじ)観ながら」で いいじゃない
その程度のことに気付いてないから42点ということになる
全体が、そこら辺に転がっている平凡極まりない句
散文、普通の文章
渋滞もでも紅葉を観ながらだと楽しめるいろは坂ですよ~ みたいな
ちょんちょんとちぎって俳句のフリをした代物
「も」というのも 非常に散文的な助詞
今回は「も」を活かす、もう1回「も」を使う
渋滞も「紅葉観ながらも名所」いろは坂
(「いい~」 「先生すご~い」)
ぃやぃやぃやぃや、これ すごいんじゃなくって、
これがすごく下手だったから すごく見えただけ
助詞「も」は重ねて使うと効果的
助詞の「も」は並列の意味を表すもの
「渋滞も」「紅葉も」と重ねて使うことで
渋滞をむしろ楽しんでいる様が より強調された句になる
第2位 坂並び車にもらう秋の手形(45点)
雨の坂車体に秋の葉の手形
発想が悪い訳ではない
言いたい事がちゃんと言葉で実現していないのが一番の問題
発想として面白いのは「秋の手形」ではあるけれど
この書き方では何かわからない
怪力の人が車にバーン!って ‥‥‥‥
(篠原さん やめなさい)
思いつくところまでは いい
そこから後 すべりまくっているだけ
(おいおいおい、すべりまくっているはちょっと‥)
「雨」という情報を入れるだけでも随分変わる
「雨の坂並び」雨が降っている状況を語る
「車体にもらう」
「秋の手形」で器物損壊にいく → 「秋の葉の手形」
こうすると この発想は一発で才能アリにいける
第1位 独り占め左の窓の紅葉谷(70点)
ちゃんと写真の中に自分が入っている
「独り占め」という言葉から始まる
何を独り占めしているんだろう と思うと、左の窓が出てくる
これによって、助手席に座っているんじゃないかな と思う
ということは 運転席に誰かいる、二人のドライブではないか
これだけのことが ここで言えてしまう
最後、「紅葉谷」だから 左の窓にくっついて見ると
構図が下に下りていくような、深い谷が見えてくる
(先生、直しは?)
「独り占め」が拙い、ものの語りようとしては
けれど、この拙さが逆に臨場感になっている
これは下手に直さないほうがいい、このままで味わう
そして 、 ワンランク上の 厳しい査定に挑むのはっ!
特待生の 5級の 千賀健永さんっ!
紅葉山暮れて紫紺に匂う頃
昇格試験ポイント 「暮れ」「頃」という時間の表現
果たして 査定はっ ‥‥‥ ワンランク昇格ーっ!
昇格の理由 言葉の選び方が抜群!
本当に気持ちの良い美しい句
「紅葉山」と出てきた時に 誰でも明るい日差しの中の鮮やかな紅葉を思い出す
ただの紅葉ではなく、「山」だから広いという事もわかる
「暮れて」だから 紅葉がスーッと暮れていくささやかな時間を表現している
色がグラデーションでスーッと紫に変わる、と思った瞬間に「紫紺」と出てくる
この暮れの様子を言っているのかな と思うと、それが そのままいかない
「匂う」と感覚的な嗅覚の方向にきて、もう1回「頃」と念押し
どういう構造になっているか と言うと
紅葉山が暮れるというのは辺り一面が紫紺に匂い始める頃ですよ
それだけのことをこの言葉の中にスーッと入れて 調べも美しい
こういう美しい句を作れる青年だとは思っていなかった、お見事!
(先生、直しは?)
美しい このまんまで私は幸せ
続いて、 ワンランク上の 厳しい査定に挑むのはっ!
特待生の 4級の ミッツ・マングローブさんっ!
迂り道色葉を知りて粧う肌
色葉知る山肌まがり道くねくね
昇格試験ポイント 「迂り道」や「粧う肌」に込めた二重の意味
果たして 査定はっ ‥‥‥ 現状維持ーっ!
現状維持の理由 想いを詰め込み過ぎ!
一句の中に ぎゅうぎゅう詰めにされている
説明を聞けば なるほどと思うけど わかりにくい
比喩とか 象徴的な意味とか
一句の中に重ねていけばいくほど 映像が見えなくなっていく
このままでは読み手に負担をかける
「色葉を知る」
「粧う肌」ここが一番わかりにくくしている
「粧う」だと 人間の肌にしか思いつかない 「粧う山肌」
色葉を知る山肌があるんだ と思う
語順のマジック
「山肌」のあとに「迂まがり道」
「肌」のあとに「まがり」ときたら
読み手の脳は勝手に お肌の曲がり角 とかを連想する
例えば、「くねくね」と擬音でもっていく
お肌も曲がる、人生も曲がる、道も曲がる
色葉を知っている年齢は あっという間に終わってしまう
そういうことを 読み手が勝手に解釈してくれる
俳句というのは意味を述べるのではなく、映像を切り取る
(「映像を切り取る」 ハイ、書いてー!................)
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