下の子と高幡不動に行ってきました。
私は、写経や紫陽花の時期に一人で来たりしていましたが、娘は、ものすごく久しぶり。
この日は、娘の厄災除のため。
厄年なんですよね。
あまり気にしない方は気にしないのかもしれないし、私もすごーくすごーく気にするわけではないのですが…
母が悪性リンパ腫で手術したのは、私の厄年。
その時は、自分が厄年だとは知らなかったのですけどね。
就職してからのこと。お母さんを早くに亡くされたという大先輩から、「母は乳がんで亡くなったんだけど、私が厄年の時だった」と聞いたんです。
「あなたも厄年でしょ?」と。
その先輩は、母が自分の厄をかぶってくれたんじゃないか…っておっしゃっていました。
その後、私の母も亡くなるわけですが、その先輩の言葉は、いつも気にするとかではなく、なんとなくですが、ずっと心に残っています。
そんなこともあるのかもしれないなって。
その先輩は、毎日、仕事のあと、母の病院に向かう私を、時々車で送ってくださったりもしたのですが、その時も、「自分の人生を犠牲にしてるように感じることもあるかもしれないけれど、それもまた人生。意外と悪くないものよ」と、そんな言葉も掛けてくれました。
私を支えてくれる言葉のひとつです。
まぁ、こんな話は娘にはしていないのですが、娘は、そういうことを大切にします。
高幡不動では、1日に何度か本堂でお護摩修行をされていて、厄災除や様々な祈願の申込をした人だけでなく、誰でも参加できます。
うまく言えませんが、こういう時間もいいものだなって思います。気持ちのリセットみたいな?
娘は、「足が痛くて、どうしたらいいものかと、不動明王様の前で煩悩だらけだった」と苦笑い。
私は、写経や紫陽花の時期に一人で来たりしていましたが、娘は、ものすごく久しぶり。
この日は、娘の厄災除のため。
厄年なんですよね。
あまり気にしない方は気にしないのかもしれないし、私もすごーくすごーく気にするわけではないのですが…
母が悪性リンパ腫で手術したのは、私の厄年。
その時は、自分が厄年だとは知らなかったのですけどね。
就職してからのこと。お母さんを早くに亡くされたという大先輩から、「母は乳がんで亡くなったんだけど、私が厄年の時だった」と聞いたんです。
「あなたも厄年でしょ?」と。
その先輩は、母が自分の厄をかぶってくれたんじゃないか…っておっしゃっていました。
その後、私の母も亡くなるわけですが、その先輩の言葉は、いつも気にするとかではなく、なんとなくですが、ずっと心に残っています。
そんなこともあるのかもしれないなって。
その先輩は、毎日、仕事のあと、母の病院に向かう私を、時々車で送ってくださったりもしたのですが、その時も、「自分の人生を犠牲にしてるように感じることもあるかもしれないけれど、それもまた人生。意外と悪くないものよ」と、そんな言葉も掛けてくれました。
私を支えてくれる言葉のひとつです。
まぁ、こんな話は娘にはしていないのですが、娘は、そういうことを大切にします。
高幡不動では、1日に何度か本堂でお護摩修行をされていて、厄災除や様々な祈願の申込をした人だけでなく、誰でも参加できます。
うまく言えませんが、こういう時間もいいものだなって思います。気持ちのリセットみたいな?
娘は、「足が痛くて、どうしたらいいものかと、不動明王様の前で煩悩だらけだった」と苦笑い。