年金暮らしの自由人

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私の好きなアーチスト(マイルス・デイビィス)について(第三弾)

2010年03月12日 10時20分48秒 | JAZZ

LP、CDを合わせると、約50~60枚程度所持していて、最も好きなトランペッターの一人であるマイルスについて簡略的に触れてみます。     

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マイルス・デイヴィス(Miles Dewey Davis III, 1926年5月26日(イリノイ州オールトン) - 1991年9月28日、65歳没、バンドリーダー、作曲家)は、ジャズのトランペット奏者。モダン・ジャズの“帝王”と言われる。

アルバム『カインド・オブ・ブルー』『ビッチェズ・ブリュー』などで知られるが、クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョンなど、時代に応じて様々な音楽性を見せ、ジャズ界を牽引した。

マイルスは他のジャズプレイヤーより、裕福な環境で育った。母は音楽の教師をしていた事もあって、その影響で10代の頃からトランペットに興味を持ち演奏練習をしていた。
高校の時代には地元でジャズバンドを結成し、偶然にチャーリー・パーカーが来た時、演奏する事になる。その後、直ぐにニューヨークに出てジュリアード音楽院に入学。後にバード(チャーリー・パーカーのニックネーム)のバンドに加わる事となった。1947年には、バードやマックス・ローチのサポートを得て、初のリーダー・セッションを行なう。

1950年代に入ると、アート・ブレイキーと共演、1954年にはプレスティッジ・レコードから発表した『ウォーキン』以降、ハード・バップの旗手として活躍。1954年12月24日にはセロニアス・モンクと共演する。

1955年、ジョン・コルトレーン、レッド・ガーランド、ポール・チェンバース、フィリー・ジョー・ジョーンズのメンバーで、第一期クインテットを結成。1956年にはプレスティッジ・レコードと契約期限が切れる前に『スティーミン』『リラクシン』『クッキン』の3枚を発表し4部作を完成させた。これらの収録されたアルバムは毎年1年ずつ4年にかけて発売された。

1958年にはアルトサックスのキャノンボール・アダレイ、ピアノにビル・エヴァンスを加えて、代表作の一つ『カインド・オブ・ブルー』を制作。モード・ジャズの方法論を示した。1960年にはジョン・コルトレーンが脱退。その後、メンバーは固定されなかったが、1963年ハービー・ハンコック、ロン・カーター、トニー・ウィリアムスがグループに参加。1964年7月に初来日。同年秋にはウェイン・ショーターを迎え、マイルス、ウェイン、ハービー、ロン、トニーという第二期クインテットが確立。1968年前半までこのメンバーで活動した。演奏面でも作曲面でも4ビートスタイルのジャズとしては最高水準まで昇りつめた5人は、「黄金クインテット」と呼ばれる。

1970年代の頃には交通事故を起こし、危うく命を落とす事になった。以降はマイク・スターン(g)、ジョン・スコフィールド(g)、マーカス・ミラー(b)、ジョーイ・デフランセスコ(kyb)等の電子楽器プレーヤ-達を加えエレクトリック・ジャズ、フュージョンなどの分野に大きく影響を与えた。