現代版徒然草素描

勝手気ままに感じたままを綴ってみましょう。

知らないことで超えられるハードルはそれほど高くは無い

2009-05-01 10:20:58 | 生涯学習の決意

 「知らなかった。」と言ってはばからない人たちがいる。確かに、知らなかったのかもしれない。知る為の努力をしてこなかっただけなのかもしれない。感心が無かった為に素通りしてしまったのかもしれない。何回かそういう人たちに出会ってきた。今でも時々会うことがある。人の事を批判するつもりはない。人のことはどうでも良い。

 若い頃、「お前、この世の中に知らなくて良いことなんかない。」とアドバイスしてくれた何人かの先輩達がいた。「いくら知識、知恵を詰め込んだ所で重くはないだろう。」表現こそ違うものの同じ事を言っている。「いったん覚えて、忘れなくする方法を会得することだ。」ある学者はそんなような事を言っていた。情報の整理に係わる事柄だろうと思っていた。忙しさのあまりにしばらく忘れていたが、「この事を言ったのだろう。」と言う体験をすることになる。記録して後は忘れていると言うことである必要に成った時に引っ張り出して来れば良いではないか。

 具体的には「玉を拾う屑籠とその手法」の事である。脳の整理学だったのかもしれない。余白を常に用意しておくと言うことだろう。時間的にも、精神的にも・・・。ノイローゼなどに成らなくてすむではないか。そうする事で新たな事を受け付けることが出来ることに気が付かされた。

 人の言っていることはひとまず全部聞いて理解しよう。その次に、私だったらこうすると言う自分のアイデアを付け加えて立ち上がってこようではないかと言う態度である。教えを請う時自分の先入観をなるべく差し込まないようにしよう。判断を曇らせてしまう可能性がある。

 立ち上がってくるときに彼の言ったことと、自分の知識、知恵、経験知、予測、集めてある情報などで濾過すれば新しい創造物が出来ることになる。最初は模倣でもよかろう。模倣なくして新たな創造は無かろう。

 以前、この国や、開発途上国はその道を歩んできたではないか。知らないことはあくまでも知らないことであり、そこから出発しさえすれば大きな間違いは犯さなくて済むではないか。必要な情報は自ら集めてくれば済むことである。