以下は「デタラメな趣味の文章」です。勝手に題名つけて、勝手に書いています。麒麟がくる、のネタバレはないはずです。ただし史実を全く知らない方にとっては、一部史実がネタバレします。文章そのものは史実と関係ありません。史実をちょっと基にしたフィクションです。軽いノリのふざけた文章でもあります。家康のセリフは大河「国盗り物語」のパクリです。
さて目出度く足利義昭さんが将軍になれたのは、1568年の年末のこと。織田信長は1569年の正月には、殿中掟16条というルールを作ります。が、義昭さんはニコニコです。「信長殿は本当に足利家のことを心配してくれているんだ」と喜んでいます。善良な人なんです。
十兵衛は基本は幕臣として、そして織田家にも属すると言う「両属状態」で働いていました。義昭さんのことは信頼しています。奈良で托鉢増の姿になって、貧しい人々を救おうとしていた人間です。善良でいい人なんです。
しかし幕臣の多くは腐敗していました。十兵衛はそれを改革しようとします。信長は「オレは幕臣ではない。十兵衛がやれ」と言っています。それで段々、義昭さんとも口論になることも多くなっていきます。仲が良くても口答えはする。十兵衛と道三の関係と同じです。
光秀「も~辞めます。もー幕臣はやめますよ。いつまでたっても腐敗が改まらない。」
義昭「辞めるなら辞めろ。辞めてしまえ。実はわしが辞めたいわ!」
光秀「まさか私が土地を横領したとか、信じてないでしょうね」
義昭「信じてないわ!わしだって何とかしたいわけよ。でもどーにもこーにも。そりゃ老獪な奴が多い。三淵は諦め顔だし、細川は十兵衛より怒っている始末だ」
光秀「横領はするわ。公家と組んで土地はかすめとるわ、ひどいことになってますよ」
義昭「わかってるよ。でもここまでひどいと改革は無理じゃ。わかるか、この足利直系の将軍の辛さが。重さが。土岐源氏のはしくれには、分からぬ!」
光秀「えー分かりませんとも。罷免しましょう。罷免」
義昭「罷免はいいけど、だれが幕府を動かす?そういう官僚仕事、十兵衛できるのか。美濃の坊ちゃん育ちだろ。構造改革は難しいわけよ。科挙でもやるのか。」
光秀「しかし信長様ももう我慢ならないって感じですよ」
義昭「わしにどうしろというのだ。大名への仲介手紙なら書いてるよ。しかし内部の腐敗は奥が深い。公家ともつながっている。この前まで僧だったわしには荷が重い。むしろ三淵、細川、十兵衛の責任じゃないのか」
光秀「あ、そういうことを言うんだ。はい、責任転嫁、武家の棟梁失格」
義昭「失格なんてことはなった時から気が付いていたわ。お前たちが支えるからどうしても将軍になれなれとうるさかったんじゃないか。まあ、ホントの話、十兵衛は信長についた方がいいと思うよ。わしについていても先はない」
光秀「・・・・」
光秀「ところで、信玄が上洛するうわさがありますが、知ってますか」
義昭「またわしが包囲網を作ったとかいうんだろ。私じゃないって。冤罪だよ。顕如だよ、本願寺、あと顕如に乗せられたあのユースケ義景」
光秀「安心しました」
義昭「しかし十兵衛、信長は本当に麒麟をよべるのか。わしは怪しいと思っておる。それから、藤吉郎、あの者には気をつけよと信長に伝えよ」
1572年の末、武田信玄が西上の軍をあげます。同盟を結んでいると思っていた信長は怒り狂います。さらに藤吉郎が「全部、将軍義昭の策謀」と報告を入れてきます。幕府を大切にしてきた信長の心が揺らぎます。信玄の目標は美濃であると読んだ信長は、家康に「戦わないくてもいい。美濃で決戦する」と書状を送り、防衛兵として「わずか三千」の兵を送ります。
一方奈良では信玄西上を受け、松永久秀が信長に反旗を翻します。光秀は驚き、久秀のもとに急行します。
久秀「おお、十兵衛、よく来た」
光秀「よく来たじゃないでしょ。何考えてるんですか。」
久秀「わしの主君は三好義継様じゃ、いくら言っても叛意を変えない。立つという。わしは三好家の家臣じゃ。仕方なかろう。将軍家の御内書もあるという」
光秀「その御教書は偽造ではありませんか」
久秀「偽造かも知れぬ。見たわけではない。しかし、そのような偽造がなされるなら、室町殿ももう終わりということであろう。」
光秀「そう思うなら何故」
久秀「三好家家臣だからじゃ。信玄は勝てないぞ。朝倉の腰は引けておる。信玄が長躯遠征しても、美濃で織田に勝てるわけもあるまい。せいぜい徳川を潰すのがやっとであろう」
光秀「だからそう思うなら何故」
久秀「わしは義輝公と幕府を改革しようとしたができなかった。もはや足利や三好の世は終わった。終わったものは滅んでいくしかない。わしも足利も、古いものは滅んだほうが良いのじゃ。しかしどうせ滅びるならわしは信長と一度戦ってみたいのだ」
光秀「滅べば美しいと思ったら、大間違いですぞ」
久秀「わかっておる。よく分かっておる。しかし言っておく。信長はいずれ滅びるぞ。10年のうちに。もう帰れ、十兵衛」
十兵衛は泣く泣く多聞山城を後にします。なお、この戦いの後、三好義継は戦死。松永久秀は信長によって許されます。
さて、信長から「戦わなくていい」と言われた、浜松城の家康。浜松城に籠っていると、武田軍は家康を無視して進軍していきます。やはり狙いは美濃でした。
家康「織田殿は戦わなくてよいという」
菊丸「それはようございました。家中には武田に寝返るべきという方もおられるようです」
忠勝「殿、ここは我慢のしどころですな」
家康「忠勝、よく申した。そう、我慢じゃ。やせ我慢じゃ。ここは打って出る。」
籠城と思っていた織田の援軍は驚きます。家康は三方ヶ原に打って出ますが、鎧袖一触、武田にやられ、城に逃げ込みます。
忠勝「鎧袖一触とはこのことですな。武田は強い」
家康「しかしわしが打って出なければ、わしから離れた国人は、もはや戻ってこないであろう」
忠勝「そのために出陣でしたか、しかしよう負けましたな」
家康「いや、戦では負けたが、わしは生きておる。徳川家康を臆病者とは、もはや世間は見ぬ。忠勝わかるか。いかに知略があろうとも、臆病と言われれば、人は軽蔑し、知略をほどこすこともできぬ。三方ヶ原で今日、わしがこの手に握ったのは、天下という場所で仕事をするには、命より大切な信頼よ。」
菊丸「殿!」
この話を菊丸から聞いた光秀は思います。「徳川家康か、不思議な男だ。裏切ったところで機敏さを誉められこそすれ、誰ひとり後ろ指さす者もあるまいに、、、いや、この戦国に稀有の律儀さ。存外生き延びれば、諸大名の信頼を買うかも知れぬ。」
やがて信玄は西上の途上で死没します。武田軍は甲斐に去っていきました。その前に、信玄が同盟していたユースケ義景は雪を理由に越前に引き上げてしまい、信玄は茫然としたということです。朝倉が引き上げた以上、信玄が死ななくても、武田にはこれ以上の西上は無理だったのです。
さて目出度く足利義昭さんが将軍になれたのは、1568年の年末のこと。織田信長は1569年の正月には、殿中掟16条というルールを作ります。が、義昭さんはニコニコです。「信長殿は本当に足利家のことを心配してくれているんだ」と喜んでいます。善良な人なんです。
十兵衛は基本は幕臣として、そして織田家にも属すると言う「両属状態」で働いていました。義昭さんのことは信頼しています。奈良で托鉢増の姿になって、貧しい人々を救おうとしていた人間です。善良でいい人なんです。
しかし幕臣の多くは腐敗していました。十兵衛はそれを改革しようとします。信長は「オレは幕臣ではない。十兵衛がやれ」と言っています。それで段々、義昭さんとも口論になることも多くなっていきます。仲が良くても口答えはする。十兵衛と道三の関係と同じです。
光秀「も~辞めます。もー幕臣はやめますよ。いつまでたっても腐敗が改まらない。」
義昭「辞めるなら辞めろ。辞めてしまえ。実はわしが辞めたいわ!」
光秀「まさか私が土地を横領したとか、信じてないでしょうね」
義昭「信じてないわ!わしだって何とかしたいわけよ。でもどーにもこーにも。そりゃ老獪な奴が多い。三淵は諦め顔だし、細川は十兵衛より怒っている始末だ」
光秀「横領はするわ。公家と組んで土地はかすめとるわ、ひどいことになってますよ」
義昭「わかってるよ。でもここまでひどいと改革は無理じゃ。わかるか、この足利直系の将軍の辛さが。重さが。土岐源氏のはしくれには、分からぬ!」
光秀「えー分かりませんとも。罷免しましょう。罷免」
義昭「罷免はいいけど、だれが幕府を動かす?そういう官僚仕事、十兵衛できるのか。美濃の坊ちゃん育ちだろ。構造改革は難しいわけよ。科挙でもやるのか。」
光秀「しかし信長様ももう我慢ならないって感じですよ」
義昭「わしにどうしろというのだ。大名への仲介手紙なら書いてるよ。しかし内部の腐敗は奥が深い。公家ともつながっている。この前まで僧だったわしには荷が重い。むしろ三淵、細川、十兵衛の責任じゃないのか」
光秀「あ、そういうことを言うんだ。はい、責任転嫁、武家の棟梁失格」
義昭「失格なんてことはなった時から気が付いていたわ。お前たちが支えるからどうしても将軍になれなれとうるさかったんじゃないか。まあ、ホントの話、十兵衛は信長についた方がいいと思うよ。わしについていても先はない」
光秀「・・・・」
光秀「ところで、信玄が上洛するうわさがありますが、知ってますか」
義昭「またわしが包囲網を作ったとかいうんだろ。私じゃないって。冤罪だよ。顕如だよ、本願寺、あと顕如に乗せられたあのユースケ義景」
光秀「安心しました」
義昭「しかし十兵衛、信長は本当に麒麟をよべるのか。わしは怪しいと思っておる。それから、藤吉郎、あの者には気をつけよと信長に伝えよ」
1572年の末、武田信玄が西上の軍をあげます。同盟を結んでいると思っていた信長は怒り狂います。さらに藤吉郎が「全部、将軍義昭の策謀」と報告を入れてきます。幕府を大切にしてきた信長の心が揺らぎます。信玄の目標は美濃であると読んだ信長は、家康に「戦わないくてもいい。美濃で決戦する」と書状を送り、防衛兵として「わずか三千」の兵を送ります。
一方奈良では信玄西上を受け、松永久秀が信長に反旗を翻します。光秀は驚き、久秀のもとに急行します。
久秀「おお、十兵衛、よく来た」
光秀「よく来たじゃないでしょ。何考えてるんですか。」
久秀「わしの主君は三好義継様じゃ、いくら言っても叛意を変えない。立つという。わしは三好家の家臣じゃ。仕方なかろう。将軍家の御内書もあるという」
光秀「その御教書は偽造ではありませんか」
久秀「偽造かも知れぬ。見たわけではない。しかし、そのような偽造がなされるなら、室町殿ももう終わりということであろう。」
光秀「そう思うなら何故」
久秀「三好家家臣だからじゃ。信玄は勝てないぞ。朝倉の腰は引けておる。信玄が長躯遠征しても、美濃で織田に勝てるわけもあるまい。せいぜい徳川を潰すのがやっとであろう」
光秀「だからそう思うなら何故」
久秀「わしは義輝公と幕府を改革しようとしたができなかった。もはや足利や三好の世は終わった。終わったものは滅んでいくしかない。わしも足利も、古いものは滅んだほうが良いのじゃ。しかしどうせ滅びるならわしは信長と一度戦ってみたいのだ」
光秀「滅べば美しいと思ったら、大間違いですぞ」
久秀「わかっておる。よく分かっておる。しかし言っておく。信長はいずれ滅びるぞ。10年のうちに。もう帰れ、十兵衛」
十兵衛は泣く泣く多聞山城を後にします。なお、この戦いの後、三好義継は戦死。松永久秀は信長によって許されます。
さて、信長から「戦わなくていい」と言われた、浜松城の家康。浜松城に籠っていると、武田軍は家康を無視して進軍していきます。やはり狙いは美濃でした。
家康「織田殿は戦わなくてよいという」
菊丸「それはようございました。家中には武田に寝返るべきという方もおられるようです」
忠勝「殿、ここは我慢のしどころですな」
家康「忠勝、よく申した。そう、我慢じゃ。やせ我慢じゃ。ここは打って出る。」
籠城と思っていた織田の援軍は驚きます。家康は三方ヶ原に打って出ますが、鎧袖一触、武田にやられ、城に逃げ込みます。
忠勝「鎧袖一触とはこのことですな。武田は強い」
家康「しかしわしが打って出なければ、わしから離れた国人は、もはや戻ってこないであろう」
忠勝「そのために出陣でしたか、しかしよう負けましたな」
家康「いや、戦では負けたが、わしは生きておる。徳川家康を臆病者とは、もはや世間は見ぬ。忠勝わかるか。いかに知略があろうとも、臆病と言われれば、人は軽蔑し、知略をほどこすこともできぬ。三方ヶ原で今日、わしがこの手に握ったのは、天下という場所で仕事をするには、命より大切な信頼よ。」
菊丸「殿!」
この話を菊丸から聞いた光秀は思います。「徳川家康か、不思議な男だ。裏切ったところで機敏さを誉められこそすれ、誰ひとり後ろ指さす者もあるまいに、、、いや、この戦国に稀有の律儀さ。存外生き延びれば、諸大名の信頼を買うかも知れぬ。」
やがて信玄は西上の途上で死没します。武田軍は甲斐に去っていきました。その前に、信玄が同盟していたユースケ義景は雪を理由に越前に引き上げてしまい、信玄は茫然としたということです。朝倉が引き上げた以上、信玄が死ななくても、武田にはこれ以上の西上は無理だったのです。