歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

大河「麒麟がくる」の明智十兵衛は何故本能寺の変を起こすのか。A案。

2020-06-23 | 麒麟がくる
大河はフィクションですから、史実の明智光秀と大河の明智十兵衛は「違う人物」です。だからここでは大河の光秀を「十兵衛」と表現します。

理由のヒントは明示されています。①武士の誇りのため ②麒麟を呼ぶため

このうち十兵衛が実際にこだわっているのは①に見えます。

そうなると「信長に頭を叩かれた」とか「四国の件で面目を失った」などという理由も十分に成立可能です。しかしドラマですから、よく描かれてきた「足蹴にされた」とかにはしないでしょう。「四国問題」も一般視聴者にはピンとこない理由です。

となると「武士の棟梁である将軍なくして武士は存在できない」という十兵衛がよく使う言葉が気になってきます。つまり「信長が幕府をつぶしたから」という理由です。

これはストレートに「将軍義昭の追放」を意味していません。
①追放しても戻すと十兵衛は思っていたが、信長にその気はなかった(これは採用されないと思います)。
②追放しても義昭の息子を将軍にすると思っていたが、信長はしなかった。(息子を将軍にしなかったことは史実です)
③追放しても信長が武家の棟梁になると思っていたが、信長は「武士階級をなくそう」とした。または幕府を開く気がなかった。

などが考えられます。②は「ありうる」かなと思っています。

③ですが、武家の棟梁は別に幕府を開く必要はないわけです。武家政権を「幕府」と呼ぶことも当時はありません。家康は「幕府を開くよ」なんて一度も言ってはいません。

ただ家康は「征夷大将軍」なのですね。関白秀吉は明らかに武家の棟梁ですが、十兵衛が「征夷大将軍以外は武家の棟梁とは認めない」という立場をとる可能性はあります。信長が「太政大臣として武家政権を作ろうとする」か「信長が朝廷の官職とはなんの関係もなく、武家政権を作ろうとする」したら、「征夷大将軍はいなくなる」わけです。それが理由になる可能性はあります。(義昭はまだ将軍ですが)。ただどうも弱い感じですね。

「武士階級をなくす」というトンデモ設定はあるのか。明治維新的です。信長は「いくさが嫌い」なわけですから、「武士階級をなくせば」、戦争は起きにくくなります。信長が「王」となって、「科挙」を採用し、文官が治める国にするという設定です。しかしあまりに「トンデモ」で、ありうるとは思いません。

「武家の棟梁」がキーワードだと思います。信長は武家の棟梁としてふさわしくない。義昭もふさわしくない。自分もふさわしくない。しかしそこから唐突に「家康ならふさわしい」とはならないし、史実としても、本能寺から江戸開府までは20年もあるのです。

「武家の棟梁」がキーワードだと思いますが、どういう風に物語を持っていくのか。どうにも分からないし、期待もしています。

織田信長の「天下布武」の本当の意味

2020-06-23 | 織田信長
織田信長が美濃を攻略後1568年頃から使った「天下布武」の意味については、「従来は」こんな説明がなされてきました。

①「天下」は五畿内のことで日本全土ではない。
②「武」はほこをおさめる。つまり平和という意味である。
③または「武」は室町将軍の武威を表している。

織田信長については「その業績をなるべく小さい感じで表現しよう」というのが、最近の信長論の潮流です。

天下統一など狙っていなかった。五畿内を守ろうとしたら、その「外」と戦いになってしまい、それが全国統一戦争のように見えるというわけです。

これが「従来の説」です。

ぼちぼちこういう信長論にも、批判の声が出てきています。ちらほらという感じなのですが。

④まず「天下」は「地方との関係において天下」なのだ。
⑤信長の時代においても「天下」の意味は流動的に変化した。それを五畿内と限定していいのか。
⑥そもそも「室町将軍が支配すべき五畿内」という考え方でいいのか。実際は信長の時代、将軍は京都すらまともに支配していなかったではないか。

こんなところでしょうか。④がとても興味深いのですね。13代将軍、足利義輝のころ、つまり信長が生きた時代。義輝の畿内支配は空洞化していました。京から逃げ出すこともしばしばでした。

それを補うように、義輝は奥州や九州には積極的に「仲介の働きかけ」をしています。また九州の大友氏をはじめ、義輝に巨額の献金を行っている地方大名もいます。

「足利義輝の意識に照らして」考えれば、将軍の支配すべき領域、つまり天下とは「五畿内限定」ではないのです。上記のように日本全国を義輝は将軍が担当すべき領域と考えていました。

ですから天下は「将軍、室町幕府が担当すべき領域であった五畿内」という考え方は成立しないわけです。

天下の意味は秀吉時代になると日本全土を指すことが多くなっていきます。急にそうなったわけでなく、信長の行動に合わせて天下の意味は流動的に変化していったわけです。

なんだか「もっともらしい説明に見える」上記冒頭の①から③ですが、簡単に信じるのではなく、自分の頭で考えてみることが必要だと考えます。