鉄道親爺の窓

今日でブログを始めて6年目 国鉄形の車輌の淘汰が進み 寂しさもひとしおですが 平成の名車にも目を向けたいと思っています。

田野の大築堤を快走する7レ「富士」

2011-02-13 21:04:30 | 特急列車・ジョイフルトレイン
    1974年01月00日撮影 日豊本線 田野~門石(信)

 有名な田野の大築堤を走り抜ける下り7レ「富士」です この時期なぜか全国を走るブルートレインからヘッドマークが外され 少し淋しい思いをしたものです がこうして見るとやはり20系客車は寝台特急らしい風格を備えています。前日の夕方東京駅を出て24時間以上かけてあくる日の夕方西鹿児島駅に到着する列車「富士」この春新幹線が青森駅から鹿児島中央駅までつながり 新幹線を乗り継げば最速10時間足らずで行ける様になる現代から考えると隔世の感が有ります。それにしても今思うと東京から丸一日以上乗り続けて鹿児島まで乗る人はどれ位いたのでしょうか 廃止直前の「富士」が大分発着になった様に 東京~大分の寝台列車と大分~鹿児島の客車列車の二本の列車を 一本に繋いで運転していたと考えると納得いくような気がします。今寝台列車を含めて機関車が牽引する列車はドンドン無くなり 客車列車が消滅するのは風前の灯火と化しています 毎日運転する定期列車ではなく「カシオペア」や「トワイライトエクスプレス」のように不定期で しかも運転線区を固定せず 車輌をもう少し豪華にして船のクルージングのように 旅行の企画や集客は旅行社・車輌の運行は鉄道会社が担当するというような方法で鉄道の旅を楽しむような「クルージングトレイン」の様な列車を走らせるなどと言うのは戯言でしょうか 今この写真を見ていてふとその様なことを思いつきました。

離合 「彗星」と「富士」

2011-02-13 20:10:35 | 特急列車・ジョイフルトレイン
   


    1971年12月00日撮影 日豊本線 青井岳駅

 古い写真ですが今となっては懐かしいDF50牽引の20系客車同士(富士・彗星)の交換風景です。当時は蒸気機関車終焉の時を迎えており 各地で無煙化の波が広がり 蒸気機関車は北海道・九州・山陰本線(西部)日本海縦貫線(新潟以北)とそのローカル支線へと追いやられ 鹿児島本線が電化された後日豊本線は大型旅客機関車の牙城としてC61やC57が最後の煙を上げていました その日豊本線宮崎以南では普通列車や貨物列車はC57が牽引していましたが優等列車はDF50がその任に就いていました。此の時も青井岳周辺でC57牽引の朝の列車を撮影し たまたま次の撮影地に移動する列車を待つ間に寝台列車同士の離合があったので写したものです 彗星を牽引する機関車もDF50 555号機と特徴のあるナンバーだったので記憶に残るものとなりました。三十九年前の影像ですが今も懐かしく思い出されます あの時待合室で列車を待っていると事務所に招き入れて 熱いお茶を御馳走して下さった駅員さん 今も元気で居られるでしょうか 当時の駅舎もそのままあるのでしょうか 一度訪れてみたいと思うのですが。