シャンソンの仲間からカボチャをいただきました。今時のカボチャはほんとにおいしくて夫が大好きなのですが、いただいたものはいつも食べてるのとは違う品種で、ワンランク上のおいしさでした。
こんなことを言えるのも平和な世の中なればこそ。
また戦時中を思い出してしまいました。
敵機(B29)の襲撃から身を守るために、自分たちの手で掘った防空壕に身をひそめる回数がどんどん増えていきました。いま思うと、もうすでに戦争末期だったのです。
防空壕の上を、敵の目をごまかすためにカボチャを植えて覆っていました。それはとっくに敵にはばれていたようですが。
食料も底をついていて、防空壕の上の実をつけたカボチャを食べるのですが、当時は調味料の類もなく、砂糖だってなかったので、ただ辛いだけの醤油で味付けしたものを食べておいしいはずがありません。食事は空腹を満たすだけのものでした。そのカボチャのツルも食べましたよ。辛いだけの醤油味で。
それでも家族揃って食事をするその時だけは、しみじみとささやかな幸せを実感することができました。
こんなことを言えるのも平和な世の中なればこそ。
また戦時中を思い出してしまいました。
敵機(B29)の襲撃から身を守るために、自分たちの手で掘った防空壕に身をひそめる回数がどんどん増えていきました。いま思うと、もうすでに戦争末期だったのです。
防空壕の上を、敵の目をごまかすためにカボチャを植えて覆っていました。それはとっくに敵にはばれていたようですが。
食料も底をついていて、防空壕の上の実をつけたカボチャを食べるのですが、当時は調味料の類もなく、砂糖だってなかったので、ただ辛いだけの醤油で味付けしたものを食べておいしいはずがありません。食事は空腹を満たすだけのものでした。そのカボチャのツルも食べましたよ。辛いだけの醤油味で。
それでも家族揃って食事をするその時だけは、しみじみとささやかな幸せを実感することができました。