3月最初のレッスンを終えました。
クラシックから転向して、昨年からシャンソンの勉強をし始めた彼女は、シャンソンに興味を持ったきっかけになった曲「私の孤独」を、ものの見事に仕上げました。
それは言葉重視の歌なので、最初にビブラートをはずして言葉を機能させることから始めましたが、何の抵抗もなくそれをやり遂げました。しっかりと語りの歌になったのです。
言葉と言葉の音のない行間のなんと美しいことか!
楽譜至上主義のクラシック出身の人が、こんな仕上げ方が出来るのは大変珍しいと思います。
しかも彼女は私の言うことを実践し、早くに楽譜をはずして歌詞カードを見ながらの表現を早々に行っています。
シャンソンはフランス語を日本語に訳したものを歌うので、楽譜通りに歌うと日本語のイントネーションをしばしば無視しなければなりません。小節の中の言葉は直訳ではないので、日本語を機能させることは出来難いのです。
最初にメロディーを体に覚えこませて、曲全体のなかに絵を描くのです。そこに個性が生まれます。
人前で歌う場合に、その歌を聴き手と共有して初めてその曲は成就します。
クラシックから転向して、昨年からシャンソンの勉強をし始めた彼女は、シャンソンに興味を持ったきっかけになった曲「私の孤独」を、ものの見事に仕上げました。
それは言葉重視の歌なので、最初にビブラートをはずして言葉を機能させることから始めましたが、何の抵抗もなくそれをやり遂げました。しっかりと語りの歌になったのです。
言葉と言葉の音のない行間のなんと美しいことか!
楽譜至上主義のクラシック出身の人が、こんな仕上げ方が出来るのは大変珍しいと思います。
しかも彼女は私の言うことを実践し、早くに楽譜をはずして歌詞カードを見ながらの表現を早々に行っています。
シャンソンはフランス語を日本語に訳したものを歌うので、楽譜通りに歌うと日本語のイントネーションをしばしば無視しなければなりません。小節の中の言葉は直訳ではないので、日本語を機能させることは出来難いのです。
最初にメロディーを体に覚えこませて、曲全体のなかに絵を描くのです。そこに個性が生まれます。
人前で歌う場合に、その歌を聴き手と共有して初めてその曲は成就します。