ラーメン屋の出前にスーパーカブが出現したことにより、配達時間と運ぶ量が格段に向上
それまでは10杯が最高の量だったのが20杯一度に運べるようになった。
しかも早い。この速さこそがラーメンの出前の命ですから大変な変わりようです。
運べる距離も伸びた。より一層遠くまで配達できるようになった。
しかも出前機を導入することで片手運転をしなくなり安全で大量に運べるようになったから、
売り上げアップに貢献しましたね。
でも発売当時¥55、000です。
その後にセル付が発売されて¥62、000でした
らーめんが¥40の時代です
当時の売り上げが1日で¥10、000ぐらいでしたから、大変高い買物でした。
そうやって商売も進歩しながらより良い方向に進んでいくのですが、
これも昭和39年東京オリンピックのおかげですね。
すべてが近代的になった。経済がバブル経済全盛に向けて走り出したおかげです。
麺や食堂の前身 {喫茶、食事、ブラジル}が開店した昭和30年から10年で
基礎を作ったような気がする。
その間色々なことがありましたが乗り越えてこれたのは運がよかったと思います。
永い間商売していると色々な分水嶺というか分岐点があるのですが、今思い出してみると
右か左か、選択を迫られたことがたくさんありましたが
60有余年やってこれたのも お客様がいっぱい応援をしてくれたおかげです。
これからもよろしくお願いします。
それまでは10杯が最高の量だったのが20杯一度に運べるようになった。
しかも早い。この速さこそがラーメンの出前の命ですから大変な変わりようです。
運べる距離も伸びた。より一層遠くまで配達できるようになった。
しかも出前機を導入することで片手運転をしなくなり安全で大量に運べるようになったから、
売り上げアップに貢献しましたね。
でも発売当時¥55、000です。
その後にセル付が発売されて¥62、000でした
らーめんが¥40の時代です
当時の売り上げが1日で¥10、000ぐらいでしたから、大変高い買物でした。
そうやって商売も進歩しながらより良い方向に進んでいくのですが、
これも昭和39年東京オリンピックのおかげですね。
すべてが近代的になった。経済がバブル経済全盛に向けて走り出したおかげです。
麺や食堂の前身 {喫茶、食事、ブラジル}が開店した昭和30年から10年で
基礎を作ったような気がする。
その間色々なことがありましたが乗り越えてこれたのは運がよかったと思います。
永い間商売していると色々な分水嶺というか分岐点があるのですが、今思い出してみると
右か左か、選択を迫られたことがたくさんありましたが
60有余年やってこれたのも お客様がいっぱい応援をしてくれたおかげです。
これからもよろしくお願いします。