ミントに癒されて

職場の同僚が、家の畑に自生した二種類のミントをくれました。
この、素晴らしくみずみずしい緑の香りを、感じていただくことができるでしょうか?
雑然としたキッチンに、山盛り飾りました。そよ風が吹いているような清清しい気分になりました!
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靖国参拝ダメなものはダメ 5月16日

靖国神社は、第二次大戦を自衛のための戦争であったと主張し、その結果、東アジアを解放したのだと戦争を肯定する主張をしている。靖国神社は、朝鮮半島および大陸での強制連行による従軍慰安婦はなかったと断言している。靖国神社は、東京裁判を国際法を無視した不当な裁判であったと明言している。

靖国神社は、日本が犯した侵略戦争の罪を認めず、従軍慰安婦もなかったと、政府見解に反する主張をしているのだ。実際に兵役に出た方から、大陸で村を焼き滅ぼすとき、火をつける前に村の女性すべてを犯したと、私は聞かされた。靖国神社は、日本の犯した罪から目をそむけ、朝鮮半島や中国大陸の人々に対するお詫びの気持ちが微塵もなく、ただひたすら日本を正当化しようとする独善的な宗教法人なのだ。

しかし、それは、一宗教法人たる靖国神社の「自由」だ。靖国神社は、1946年(昭和21年)、宗教法人となり、完全に「私立」となった。私立の靖国神社が、どのような方針で戦没者を祀ろうと、それこそ自由。しかし、日本国を代表する総理大臣が公式参拝するとなると、話が全く違ってくるのだ。

日本軍が、大陸や半島の人々に苦痛を与え、蹂躙したことは紛れもない事実。それについては、無条件に謝罪しなければならないはずだ。「自己コントロール」できなかった当時の日本の過ちを、戦後60年経過した今でも尚、私たちは心底反省すべきだ。

敗戦国たる日本は、東京裁判を受け入れることと引き換えに、国際社会への復帰を認められた。その事実を忘れてはならない。東京裁判を否定してしまったのでは、戦後の日本史は語れないのだ。

私立たる靖国神社が、A級戦犯を含む約250万柱の戦没者の合祀の権利を手放さない以上、日本国の総理大臣が、ここを公式参拝することはできないのだ。しかしながら、靖国神社の尊厳と日本のアジア外交の発展とを天秤にかけざるを得ないはがゆさは、多くの国民が共有するところだ。あらたに国立墓苑をつくることでしか、アジア外交の進展はない。そこには、戦争の犠牲者すべてを祀れば良い。千鳥が淵墓苑の無名戦士の慰霊も、ともに行えばよいのだ。

小泉総理が、「靖国神社を参拝してどこが悪い!」と強調すればするほど、対アジア外交は先へ進めなくなる。それが現実だから、どうしようもない。総理の肩書きがなくなった時、一個人として一宗教法人たる靖国神社に参拝することは、誰一人としてとがめないはずだ。それで良いではないか。

侵略戦争を反省せず従軍慰安婦も認めない、極東軍事裁判を否定して、おまけに西郷隆盛の合祀を拒否する不公平な靖国神社を、不戦の誓いのシンボルとして国が公認することを、私は到底認めることができないのだ。
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