Justice! 社会正義の実現!所得充実政策!ワクチンより検査を積極的に推奨! / 薬剤師・元参議院議員・消防団
ひらがな5文字の「はたともこ」ブログ
「A級戦犯は罪人ではない」のか 5月27日
靖国神社に合祀されているA級戦犯について、「占領下での軍事裁判であって、罪人ではない」との意見が注目を集めている。確かに、日本国民としては、そのような解釈は十分に考えられるし理解もできる。しかし、それは国内的には認知される意見であっても、特に対アジア諸国に対する外交となると、いかにも日本の侵略行為も含めてすべてを肯定しているようで、なかなか理解を得ることは難しい。だから、「A級戦犯は罪人ではない」などと、軽率に口にすべきものではないのだ。
極東軍事裁判の結果を受け入れることで国際社会の一員になることができた我が国が、我が国の事情だけを言い張って、結果的にアジア諸国との関係を乱す行為は、明らかに幼稚な外交だ。仮に自己の言い分があったとしても、それをぐっとこらえるのが成熟した大人の対応というものだ。何でも自己主張すれば良いというものでは決してないし、総理の靖国参拝そのものの正当性も、実際問題、非常に怪しいものなのだ。
小泉総理の靖国神社参拝で注目すべきは、A級戦犯合祀の問題だけではない。靖国神社の最大の欠点は、祀っている人物が、公平性に欠けるという点だ。靖国神社には、西南の役で戦死した反政府軍の大将・西郷隆盛は祀られていない。太平洋戦争のA級戦犯は合祀しても西郷隆盛は合祀しないという靖国神社の性格は、明らかに偏狭で公平性に欠けるものだ。
そんな非常に偏った思想の靖国神社を、一国の総理大臣がその立場で、諸外国の反感をかうことを恐れず参拝するということは、誤解を与えこそすれ得るものは何もない。正直とても情けない話なのだ。
更に、日本の侵略行為を認めず、戦争を正当化し、従軍慰安婦の存在を否定し、創氏改名は強制ではなかったと強調する靖国神社は、やはりどう考えても独善的でわがままだといえる。アジア諸国の共存を目指そうとする今世紀、靖国神社の思想はあまりにも協調性に欠けるものだ。一宗教法人たる靖国神社が、どのような思想であろうとも自由だが、そんな偏狭な私立の神社に、小泉総理が総理大臣の立場で参拝することは、常識を逸脱した行為と捉えられても仕方がないのだ。
「A級戦犯は罪人ではない」という思想は、心に秘めているうちは問題はない。が、それを公言してしまったのでは、国際社会の一員としての日本の足元を揺るがしかねない大問題へと発展する。極東軍事裁判は、裁判そのものの是非を含めて、その時点で我が国が受け入れた現実なのだ。極東軍事裁判があるから、現在の日本があるといっても過言ではない。A級戦犯の人たちが、日本のために責任を負ってくれたとも言えるのだ。従って、今さら、国際法廷で断を下されたA級戦犯の存在が気に入らないから無効だなどとは、間違っても言ってはならないことなのだ。
靖国神社にこだわり続けると、日本の対アジア外交は、必ず行き詰まる。相手国の立場をも十分に理解して初めて国際社会の一員と言えるし、そのリーダーたる国連P5入りにも名乗りをあげる資格が生じるというものだ。利己主義的な発想は、自分で自分の首を絞めるだけだということに、小泉総理も早く気付いて欲しい。
極東軍事裁判の結果を受け入れることで国際社会の一員になることができた我が国が、我が国の事情だけを言い張って、結果的にアジア諸国との関係を乱す行為は、明らかに幼稚な外交だ。仮に自己の言い分があったとしても、それをぐっとこらえるのが成熟した大人の対応というものだ。何でも自己主張すれば良いというものでは決してないし、総理の靖国参拝そのものの正当性も、実際問題、非常に怪しいものなのだ。
小泉総理の靖国神社参拝で注目すべきは、A級戦犯合祀の問題だけではない。靖国神社の最大の欠点は、祀っている人物が、公平性に欠けるという点だ。靖国神社には、西南の役で戦死した反政府軍の大将・西郷隆盛は祀られていない。太平洋戦争のA級戦犯は合祀しても西郷隆盛は合祀しないという靖国神社の性格は、明らかに偏狭で公平性に欠けるものだ。
そんな非常に偏った思想の靖国神社を、一国の総理大臣がその立場で、諸外国の反感をかうことを恐れず参拝するということは、誤解を与えこそすれ得るものは何もない。正直とても情けない話なのだ。
更に、日本の侵略行為を認めず、戦争を正当化し、従軍慰安婦の存在を否定し、創氏改名は強制ではなかったと強調する靖国神社は、やはりどう考えても独善的でわがままだといえる。アジア諸国の共存を目指そうとする今世紀、靖国神社の思想はあまりにも協調性に欠けるものだ。一宗教法人たる靖国神社が、どのような思想であろうとも自由だが、そんな偏狭な私立の神社に、小泉総理が総理大臣の立場で参拝することは、常識を逸脱した行為と捉えられても仕方がないのだ。
「A級戦犯は罪人ではない」という思想は、心に秘めているうちは問題はない。が、それを公言してしまったのでは、国際社会の一員としての日本の足元を揺るがしかねない大問題へと発展する。極東軍事裁判は、裁判そのものの是非を含めて、その時点で我が国が受け入れた現実なのだ。極東軍事裁判があるから、現在の日本があるといっても過言ではない。A級戦犯の人たちが、日本のために責任を負ってくれたとも言えるのだ。従って、今さら、国際法廷で断を下されたA級戦犯の存在が気に入らないから無効だなどとは、間違っても言ってはならないことなのだ。
靖国神社にこだわり続けると、日本の対アジア外交は、必ず行き詰まる。相手国の立場をも十分に理解して初めて国際社会の一員と言えるし、そのリーダーたる国連P5入りにも名乗りをあげる資格が生じるというものだ。利己主義的な発想は、自分で自分の首を絞めるだけだということに、小泉総理も早く気付いて欲しい。
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