よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

彼の死を、本当の意味では嘆かない

2016年10月11日 | 美術
彼の死を、本当の意味では嘆かない。
こうなると思っていたし、彼が狂気との闘いに苦しんでいたことを知っていたから。



ゴッホとゴーギャン展に行ってきた。



この二人の画家が約2年間共同生活をし、その個性故に何度もぶつかり
最終的には訣別した、というのは有名な話である。

ゴッホが片耳の一部を切り、その後にピストルで自殺をする。

その知らせを受けたゴーギャンが残した一筆が冒頭のものである。


ヴィンセントと私は意見が合いません。絵に関しては特にそうだ(ゴーギャン)

ゴーギャンと私は、体中の熱という熱が消えゆくほどに感情を高ぶらせ、話しこんだものだ(ゴッホ)

ふたりの語りを読んでも、ゴーギャンの方が俯瞰している。

真の人生は30歳からようやく始まる。
最も活動的な時期なのだ。

人物を描きたい、もっと人物を!(ゴッホ)



意欲的に制作に取り組んだものの、彼の画家生命はおよそ10年で絶たれる。

しかし、かつての友にその情熱は伝播していることがわかる。

ゴッホとはまったく異なる筆致ながら、ゴーギャンもまた「ひまわり」を描いているからだ。

ゴッホの死から11年後。ゴーギャンはわざわざパリからひまわりの種を取り寄せ
この絵を完成させた。


ゴーギャン作<肘掛椅子のひまわり>


ゴッホのひまわりも、ゴーギャンのそれも、一番美しい時期を選択していない。

花びらが落ち、少し萎びているもの、種子だけのもの、首をうなだれているものなど
ある種の残骸にも似た様相を呈している。

椅子もゴッホが好んで描いたモチーフである。

この絵には、ゴーギャンからのレクイエム的なメッセージが込められているのだろうか。
それとも、リスペクト的なものだろうか。


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