困った隣国問題。
世の中は意外に隣と仲が悪い場合が多い、
隣の方の性格が悪いと困った問題になるのは世の常。
さて、日本国の場合、
韓国・北朝鮮・中国との仲が悪いと言われて久しい。
何故仲が悪いのか?
何故、韓国・中国は日本は侵略国家だった、自分の国は蹂躙され大虐殺があったと喚き、
靖国神社参拝を反対し、日本の教科書に内政干渉して来るのだろうか?
そのくせ、こっそり支援金をたんまりせしめてる感じ、
中国の上海空港も中国の地下鉄も日本のお金が大量に流し込まれた。
お金も技術も日本からの影響で今の経済が有ると言えなくもないのは事実。
韓国の場合。
韓国、日本の幕末の頃、朝鮮半島には李王朝と云う政権が有った。
しかし、この王朝は国民の為になにもしない王朝と云えた。
幕末の頃、米国から政府の使者が朝鮮半島を訪ねた。
日本を経由して朝鮮に渡ったその使者は、
本国に『朝鮮半島は国の体をなしていない未開の地、国交など交わす必要なし』
との報告をしている。
人々の生活は余りにも非衛生的、道路言えない道、そこには汚物が無造作に垂れ流され、
字は読めない人々がほとんど、
名の無い人民がほとんど、
王朝は私利私欲の塊、人身売買は当然、
当時、世界は大きく動き出し、東アジアへ欧米の爪が延び出し、列強は侵略競争をしていた、
日本にもロシア、イギリス、フランス、アメリカが植民地にしようと虎視眈々と次から次へと来ていた。
日本はお金は無い、武器も旧来式、資源も乏しい、
しかし、綺羅星の如く、優秀な人材がいた、
あらゆる部門で世界に名だたる名を遺した多くの人物を排出した。
その影響で日本は侵略されずに済んだ。
それは江戸の文化が作り出した遺産と言える。
平和期に進化した各藩の独自の武士道、
それが日本を救った。
そして、明治を素晴らしい時代にしたと断言出来る。
あれ程日本が世界に対し見せつけた実力、その素晴らしさはない。
列強は驚いたと同時に恐怖した。
その一例が
東郷平八郎が読み上げた聯合艦隊解散之辞に感銘を受け、その英訳文を軍の将兵に配布している。
「軍人が太平に安心して、目前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかに立派であっても、それはあたかも、砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえば、たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである。・・・神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取上げてしまうであろう。昔のことわざにも『勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ』とある」
当時、英国のチャーチルに、その驚きを伝えている。
セオドア・ルーズベルトは親日家だった、その後のポーツマス条約で調停役を果たしてノーベル平和賞をもらうが、
徐々に日本脅威論者となって、日本を仮想敵国とみなすようになって行った。
日本はその後、帝国主義国家の仲間入りをするが、他の帝国主義国家と全く異質の性格を持った国だった。
世の中は意外に隣と仲が悪い場合が多い、
隣の方の性格が悪いと困った問題になるのは世の常。
さて、日本国の場合、
韓国・北朝鮮・中国との仲が悪いと言われて久しい。
何故仲が悪いのか?
何故、韓国・中国は日本は侵略国家だった、自分の国は蹂躙され大虐殺があったと喚き、
靖国神社参拝を反対し、日本の教科書に内政干渉して来るのだろうか?
そのくせ、こっそり支援金をたんまりせしめてる感じ、
中国の上海空港も中国の地下鉄も日本のお金が大量に流し込まれた。
お金も技術も日本からの影響で今の経済が有ると言えなくもないのは事実。
韓国の場合。
韓国、日本の幕末の頃、朝鮮半島には李王朝と云う政権が有った。
しかし、この王朝は国民の為になにもしない王朝と云えた。
幕末の頃、米国から政府の使者が朝鮮半島を訪ねた。
日本を経由して朝鮮に渡ったその使者は、
本国に『朝鮮半島は国の体をなしていない未開の地、国交など交わす必要なし』
との報告をしている。
人々の生活は余りにも非衛生的、道路言えない道、そこには汚物が無造作に垂れ流され、
字は読めない人々がほとんど、
名の無い人民がほとんど、
王朝は私利私欲の塊、人身売買は当然、
当時、世界は大きく動き出し、東アジアへ欧米の爪が延び出し、列強は侵略競争をしていた、
日本にもロシア、イギリス、フランス、アメリカが植民地にしようと虎視眈々と次から次へと来ていた。
日本はお金は無い、武器も旧来式、資源も乏しい、
しかし、綺羅星の如く、優秀な人材がいた、
あらゆる部門で世界に名だたる名を遺した多くの人物を排出した。
その影響で日本は侵略されずに済んだ。
それは江戸の文化が作り出した遺産と言える。
平和期に進化した各藩の独自の武士道、
それが日本を救った。
そして、明治を素晴らしい時代にしたと断言出来る。
あれ程日本が世界に対し見せつけた実力、その素晴らしさはない。
列強は驚いたと同時に恐怖した。
その一例が
東郷平八郎が読み上げた聯合艦隊解散之辞に感銘を受け、その英訳文を軍の将兵に配布している。
「軍人が太平に安心して、目前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかに立派であっても、それはあたかも、砂上の楼閣のようなものでしかなく、ひとたび暴風にあえば、たちまち崩壊してしまうであろう。まことに心すべきことである。・・・神は平素ひたすら鍛錬につとめ、戦う前に既に戦勝を約束された者に、勝利の栄冠を授けると共に、一勝に満足し、太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取上げてしまうであろう。昔のことわざにも『勝って兜(かぶと)の緒(お)を締めよ』とある」
当時、英国のチャーチルに、その驚きを伝えている。
セオドア・ルーズベルトは親日家だった、その後のポーツマス条約で調停役を果たしてノーベル平和賞をもらうが、
徐々に日本脅威論者となって、日本を仮想敵国とみなすようになって行った。
日本はその後、帝国主義国家の仲間入りをするが、他の帝国主義国家と全く異質の性格を持った国だった。