田辺裕信は三十代前半の中堅騎手である。実は私は数年前から「田辺裕信がいま一番上手い騎手ではないか」と言ってきた。特にその成績を精査したわけではなく、印象からそう思ったのである。
競馬学校の騎手課程を出たばかりの新人以外では、フリー騎手がほとんどという現在、彼は珍しく美浦の小西一男厩舎の所属だった。しかし今年(2016年2月)からフリーとなった。
彼は乗り馬と騎乗数に恵まれず、相当苦労していたように思う。騎手のリーディング上位で大活躍する乗り手の多くは、社台・ノーザンファーム系の生産馬やその所有馬と、それらの馬を管理する一握りの調教師・厩舎(特に関西・栗東)、そして何々軍団と称される辣腕エージェントと契約できた人たちで、先ず幸運な機会を掴んだと言ってよい。実は大した腕を持ってなくても、それなりにリーディング上位を争う騎手となれるのではないか。調教師も騎手もその実績が上がれば好循環を生み続ける。
なにしろ社台・ノーザンファーム系の馬は極めて能力が高く、また外厩としてのトレーニングセンターで調教、出走、メンテの循環も良く、常に最高の状態に整えられ、万全の態勢でレースに臨んでくる。
したがってレースでは常に評価も高く、人気馬となることが多い。能力が高く、万全の体調で臨むわけだから、騎手も勝つ、もしくは上位に入線する可能性が高くなる。しかしそれはごく一握りの調教師、一握りの騎手に偏る。
しかし現在の中央競馬において、本当に上手い騎手とは、非社台・ノーザンファーム系の馬、人気薄の馬、明らかに能力の劣る馬に乗りながら、それを上位にもってくる、あるいは勝利に導く騎手であろう。私の印象では、田辺裕信がそういう騎手なのである。
私は田辺裕信の、その数字を精査したわけではなかったが、明らかに能力も見劣りし、人気薄の馬に乗りながら、上位に突っ込んでくる、実に穴っぽい騎手なのである。そういうレースは、田辺が一番多いのではないか。しかも田辺は「確実な」穴っぽい騎手なのである。
彼は年間の騎乗数が三百数十鞍と少なく、30勝台の騎手であった。しかし田辺裕信騎手は2011年を境に変身した。結婚が契機かもしれない。
その年は、868鞍に乗り、前年の成績を大きく上回る88勝を挙げて「中央競馬騎手年間ホープ賞」を受賞した。アンタレスステークスで初の重賞勝ちも果たした。デビューから10年の初重賞制覇は遅いほうであろう。上手い騎手だと思うのだが(2014年に「フェアプレー賞」を受賞)、地味で、重賞レースもG1レースも騎乗機会が少なかったのだ。
彼が騎乗しオープンクラスに出世した馬は、重賞レースになると実績のある騎手に乗り替えられてしまうのである。たまに騎乗する重賞レースは、その馬の主戦騎手がもっと有力な馬に騎乗することが決まったか、あるいは騎乗停止処分中、あるいは怪我で乗れない場合などであった。
彼にフェブラリーステークスで初G1勝ちをもたらしたコパノリッキーも、そういう馬であった。それまではルメールや福永祐一、戸崎圭太が騎乗していた。田辺はフェブラリーSでコパノリッキーに初めて騎乗した。彼らは16頭立ての16番人気だった。
その後、田辺とコパノリッキーは5戦して2勝2着2回であったが、年が変わると武豊に乗り替えられた。
今年、田辺はロゴタイプで安田記念(G1)を勝った。ロゴタイプは三年前の皐月賞馬(デムーロ騎乗)だが、その後全く勝てなくなっていた。デムーロ騎手やルメール騎手でも勝てなかった。田辺は中山記念からロゴタイプに騎乗した。このときは7着である。前走のダービー卿チャレンジトロフィーでは連に絡む2着に来ている。安田記念はモーリスが1番人気で、ロゴタイプは8番人気に過ぎなかった。しかし彼らは鮮やかに勝った。
つい最近、「神競馬マガジン」というサイトに田辺騎手に関する記載を見つけた。その筆者は私と同じように「田辺は上手い」という強い印象を抱いていたと思われる。彼はその数字を精査した。
「田辺裕信騎手は上手いと言われるが本当か? 回収率はなんと…」という記事である。
筆者はデータ(データ期間2010年9月4日〜2015年8月9日までの過去5年間)とその表を示してくれる。これが素晴らしい分析と比較なのである。表は割愛し、少し長いが引用させていただく。
「…そして、その他の騎手の全騎乗成績。…他のトップ騎手と比較するとその(田辺騎手の)回収率の高さがわかる。単勝回収率は川田騎手とならんでトップ。複勝回収率は福永騎手よりは低いものの川田騎手と並んで2位タイと、両方とも高い水準である。それと合わせて、田辺騎手の勝率・複勝率を見てみるとその凄さがわかる。トップ騎手と比べると著しく勝率(8.8%)・複勝率(25.9%)が低いのである。しかしそれなのに回収率は高い。もしかすると田辺騎手は人気薄をよく持ってくる騎手なのか?
そう思って調べてみると、単勝1.0倍~単勝9.9倍の馬の単勝・複勝回収率は共に89%。
一方単勝10.0倍以上の単勝・複勝回収率は91%・83%と、そこまで人気薄を得意としている印象はなく、人気馬もしっかりと勝たせている。
では何が違うのか? それは騎乗した馬の平均オッズである。福永騎手は平均単勝14.1倍、岩田騎手は平均単勝14.6倍というように、トップジョッキーは平均オッズがおのずと低くなる。しかし田辺騎手の場合は平均単勝36.5倍とかなり高い。
一般的に平均オッズが低くなる理由は2つ、1つは騎手が人気であること。それを象徴するように武豊騎手は平均オッズ13.8倍と低い。そして2つめは強い馬に乗せてもらっていること。福永騎手、岩田騎手は実力も凄いが、乗っている馬の質も凄い。馬の質が良いとオッズも下がり配当も低くなる。」
「つまり田辺騎手は人気の馬に乗せてもらえる機会が圧倒的に少ないということだ。馬に恵まれず勝率・複勝率は低いが、人気の馬もしっかりと乗りこなせる技術はもっている。…全体の回収率も高いが重賞は単勝回収率202%、複勝回収率105%と抜群に高く、新馬も単勝回収率137%、複勝回収率106%とこちらも優秀。「田辺騎手は上手い騎手」これは本当のことであり、回収率的には「田辺騎手はおいしい騎手」ともいえる。」
「神競馬マガジン」のこの筆者、素晴らしい! 私は印象だけで「田辺は上手い、人気薄に乗って上位に持ってくるのだから」と言っていたのだが、彼はそれを数字で証明してくれたのである。
最近、やっと田辺裕信騎手の評価が高まり、関西の有力調教師からの騎乗依頼も増えつつあるらしい。