「グレッグ・アーウィンの英語で歌う、日本の童謡」の出版に関わって以来、童謡唱歌について少しばかり調べ、少しばかり書いてきた。それまでは、自分は特に童謡唱歌好きだとも思わなかったが、実はかなり童謡唱歌が好きだったのだと改めて知った。数多くの童謡唱歌が、私の身体の記憶として刻み込まれており、優れた童謡や唱歌を聴くと、心身が癒やされるのだ。
軍歌や演歌(特に高倉健らのヤクザ演歌)が好きになったのは学生時代で、同じ頃ブラザーズ・フォーなどのフォークも聴き、バンドを組んで演奏もしていた。いわゆるフォーク世代なのである。
また友人の影響でバードことチャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、ナット・アダレイ兄弟、クリフォード・ブラウン等を好んで聴いていた。軍歌と演歌とフォークとジャズとは、まことに支離滅裂で私らしい。
たまさか誘われてクラシックなどを聴きに行くと、途中で必ず眠ってしまった。これはこれでよいことではないか? 退屈だったということもあるが、実は精神の緊張が解け、眠りの波長にとらわれたのだから。
後年、イベントの仕事に就くと、私の音楽の嗜好は全ジャンルを縦断し、全カテゴリーを超えてしまった。クラシックも現代音楽も、シャンソンもカンツォーネもアニメソングも童謡も、ファドも前衛音楽もロックも歌謡曲も、アイドル歌謡も民謡も三味線もタンゴも伝統音楽、民族音楽、エスニック音楽も、全てに仕事で携わる機会があり、知らないことは改めて学び、改めてその魅力を知った。
ジャンルもカテゴリーもどうでもよく、良いものは良いと知ったのだ。当然のことだが、一流のジャズはいい、一流の演歌は素晴らしい、一流のクラシックは感動的だ。ジャンルなどは関係なく、一流は素晴らしいのだ。芸人も同様である。
ふと、自分がかなりの数の童謡唱歌を口ずさめることに気付いた。いったい、いつ、どこで覚えたものだろう。定かな記憶はない。むろん幼児期や小学生の子ども時代に違いない。幼児の頃は母親に聴かされ、またラジオから覚えたに違いない。幼稚園に行ったことはないので、あとは学校で覚えたのだろう。昔の小学校には度々川田姉妹、小鳩くるみ、松島トモ子などの童謡歌手がやって来て、みんなで講堂に坐って聴き、一緒に歌った。…。当時は詞の意味が分からなくても、それは歳とともにやがて分かるのだ。
もちろん口ずさめる童謡唱歌は限られる。それは詩(詞)も曲も、易しくあるいは優しく、元気で愛らしく、雄勁なあるいは美しいものばかりである。口ずさめる童謡唱歌は、いずれも優れた詞と優れた曲で、いわば現代において「古典」となったものと言える。
もっと数多くの童謡唱歌を聴いたりしたはずだが、頭に、身体に残っていないということだ。明治、大正、昭和初期のたくさんの童謡唱歌を、岩波文庫の「日本唱歌集」「日本童謡集」等で知ることができるが、その多くはすでに「記録」に過ぎず、今も身体の「記憶」に残って口ずさめる曲は限られているということだ。
大和田健樹の「故郷の空」や「鉄道唱歌」は歌えるが、同じ大和田の「舟あそび」や「旅泊」は歌えない。山田美妙斎の「敵は幾万」(これは軍歌だ)は口ずさめるが、落合直文の「青葉茂れる桜井の」は全く歌えない。佐佐木信綱の「夏は来ぬ」「水師営の会見」は口ずさめるが、「勇敢なる水兵」(これも軍歌だ)はかすかにしか記憶になく、「すずめ」は全く歌えない。
石原和三郎の「うさぎとかめ」「大こくさま」「牛若丸」は歌えるが、同じ石原の「電車唱歌」は全く歌えない。
芳賀矢一作詞の「三才女」は、いまだにこの詞の何が良いのかさっぱり分からず、曲は全く知らない。「鎌倉」は何となく口ずさめるが、他に知っている唱歌も全くない。以前、富山房発行の彼の「国民性十論」を読んだことがあるが、忠君愛国、祖先崇拝と家名等…それ以外、記憶に残っていない。
犬童球渓の「旅愁」は口ずさめるが「故郷の廃家」は知らない。文部省唱歌の「ツキ」「こうま」は何とか口ずさめるが「ふじの山」「とけいのうた」は知らない。「春が来た」「虫の声」は歌えるが「いなかの四季」「人形」「ひよこ」は知らない。「池の鯉」は歌えるが「菊の花」は歌えない。
「犬」は知らず、「二宮金次郎」はかすかに記憶にあるが、最後の「〽手本は二宮金次郎」のところしか口ずさめない。「雪」は歌えるが「那須与一」は歌えない。「茶摘」「汽車」「村祭」は口ずさめるが「冬の夜」はできない。
吉丸一昌の「早春賦」は知っているが「お玉じゃくし」「木の葉」「故郷を離るる歌」は知らない。「日の丸の旗」「春の小川」「村の鍛冶屋」は歌えるが、「広瀬中佐」も「〽杉野は何処、杉野は居ずや」の部分を歌えるのみで、他の部分は歌えず、「橘中佐」も歌えない。忠君愛国を全面に出した「児島高徳」は、おそらく曲さえ聴いたことがなかっただろう。…
列挙したものの中にも幾つか軍歌があるが、子どもたちに戦争の歌、将兵の勇気を讃え、その勇敢な死を悼む歌を学校で教えることが増え始めると、童謡運動の機運が起こり始めるのである。
鈴木三重吉らの本音はこうであったろうと察せられる。なんで子どもたちに戦争や兵隊の歌ばかり教えるのか…。もちろん、文部省唱歌やその中に埋め込まれた忠君愛国、国家主義を真っ向から批判することは避けなければならない。お上の方針に楯突くことは、柔な文学者とはいえ危険なのである。大逆事件はつい十年ばかり前のことだ。その後の思想弾圧は厳しくなるばかりで、思想警察ともいうべき特高警察も発足している。教育現場での締め付けも強まっている。
鈴木三重吉らの韜晦の理屈付けはこうであったろう。文部省制定の唱歌の歌詞の多くが、お上に雇われた国学者や国文学者、歌人、詩人等の手になる美文調、詠嘆調で、教科的文脈の生硬かつ非芸術的なものがあまりにも多い。ここは児童性にあふれた口語の芸術的な歌を、民間の詩人や作家たちで創り出そうではないかと。…こうして「童話と童謡を創作する最初の文学運動」として「赤い鳥」運動の呼び掛けに、作家や詩人、作曲家らが参集するのである。それは世界に類いのない児童文学運動となっていった。
さてこうして創られた数多くの童謡が全て優れていたわけでもなく、またいまだに口ずさめるような親しみやすいものばかりでもなかった。
例えば私は泉鏡花の「あの紫は」を知らない。有賀連の「大きなお風呂」も「蟻」も「夜店」も知らない。西條八十の「蟻」も知らない。加藤まさをの「月の沙漠」は素晴らしいが、「工場(こうば)の子」は知らない。金子みすゞの「大漁」は詩を知っているが曲が付けられたかどうかも知らない。北原白秋の「アイヌの子」も木村不二男の「アイヌの子」も知らない。
葛原しげるは多くの童謡を書いているが、私はギンギンギラギラの「夕日」以外を知らない。藤森秀夫の「谷間の姫百合」も竹久夢二の「喧嘩」も知らない。浜田広介の「山のはたおり」も与謝野晶子の「願い」も知らない。三木露風の「宵闇」も白秋の「吹雪の晩」「朝」も知らない。百田宗治の「朝寒(あささぶ)」も西條八十の「つくしんぼ」も知らない。
…知らない童謡のほうが圧倒的に多いのである。
私の記憶に残り、口ずさめる童謡は、名曲中の名曲であり、童謡の古典と言ってよいものだろう。もちろん童謡は詩ばかりでなく曲が命だ。曲によって記憶に残るかどうか、口ずさめるかどうかだろう。
例えば北原白秋作詞、中山晋平作曲の「砂山」は歌えるが、山田耕筰作曲の「砂山」は子どもには高等過ぎ、歌うのが難しい。私は歌えない。また私は白秋作詞、弘田龍太郎作曲の「雨」は歌えるし大好きだが、成田為三作曲の「雨」は明るく愛らしいが歌えない。弘田の「雨」と成田の「雨」の差は何かと言えば、曲調の美しさと叙情性であろう。弘田の「雨」は記憶に残っても、成田の「雨」は記録以外には残るまい。
これら先述の歌と重複を避け、古典的となった童謡を岩波文庫の「日本童謡集」を参考に列挙してみる。それらは曲も良いのだ。だから心の奥底に、身体的に記憶される。私でも口ずさめる。
青木存義の「どんぐりころころ」、浅原鏡村の「てるてる坊主」、北原白秋の「赤い鳥小鳥」「アメフリ」「あわて床屋」「兎の電報」「からたちの花」「この道」「ペチカ」「待ちぼうけ」「揺籃のうた」、西條八十の「お山の大将」「肩たたき」「かなりや」「ズイズイズッコロ橋」「毬と殿様」、サトウハチローの「めんこい仔馬」「うれしいひなまつり」「小さい秋みつけた」、佐藤義美の「グッドバイ」、清水かつらの「靴が鳴る」「叱られて」「雀の学校」「緑のそよ風」、相馬御風「春よ来い」、武内俊子の「赤い帽子白い帽子」「かもめの水兵さん」「船頭さん」「リンゴのひとりごと」、巽聖歌の「たきび」、中村雨紅「夕焼小焼」、野口雨情の「青い眼の人形」「赤い靴」「あの町この町」「雨降りお月さん」「兎のダンス」「黄金虫」「しゃぼん玉」「証城寺の狸囃子」「十五夜お月さん」「俵はごろごろ」「七つの子」、蕗谷虹児の「花嫁人形」、藤森秀夫の「めえめえ児山羊」、富原薫の「汽車ぽっぽ」、細川雄太郎の「あの子はたあれ」、三木露風の「赤とんぼ」、三苫やすしの「仲よし小道」、百田宗治の「どこかで春が」、加藤省吾の「かわいい魚屋さん」「みかんの花咲く丘」、結城よしをの「ナイショ話」、吉田テツ子の「お山の杉の子」…。
しかしこれで「日本童謡集」の約四分の一程度だろう。あとは記憶に無い。「日本唱歌集」はもっと少ない。
童謡唱歌の作曲家も、数多くの名曲を残した人たちは絞り込まれてくる。
滝廉太郎、岡野貞一、山田耕筰、本居長世、弘田龍太郎、成田為三、中山晋平、草川信、中田章、簗田貞、山口保治、佐々木すぐる、井上武士、海沼實、河村光陽…もちろん、まだまだたくさんいる。
優れた童謡唱歌は日本の宝だ。日本が誇るべき「こころの世界遺産」だ。この中に、未来の日本の子どもたちに、残し、伝えたいメッセージや想いがある。いのち、思いやり、やさしさ、いつくしみ、互敬的なこころ、日本の自然、日本の美、日本のこころがある。それは広く世界に通じる普遍的なものを多分に含んでいる。特に童謡は世界に類い希な児童文学運動の成果だったのだ。これを後世に残し、これを世界に広めないでどうする。…
軍歌や演歌(特に高倉健らのヤクザ演歌)が好きになったのは学生時代で、同じ頃ブラザーズ・フォーなどのフォークも聴き、バンドを組んで演奏もしていた。いわゆるフォーク世代なのである。
また友人の影響でバードことチャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、ナット・アダレイ兄弟、クリフォード・ブラウン等を好んで聴いていた。軍歌と演歌とフォークとジャズとは、まことに支離滅裂で私らしい。
たまさか誘われてクラシックなどを聴きに行くと、途中で必ず眠ってしまった。これはこれでよいことではないか? 退屈だったということもあるが、実は精神の緊張が解け、眠りの波長にとらわれたのだから。
後年、イベントの仕事に就くと、私の音楽の嗜好は全ジャンルを縦断し、全カテゴリーを超えてしまった。クラシックも現代音楽も、シャンソンもカンツォーネもアニメソングも童謡も、ファドも前衛音楽もロックも歌謡曲も、アイドル歌謡も民謡も三味線もタンゴも伝統音楽、民族音楽、エスニック音楽も、全てに仕事で携わる機会があり、知らないことは改めて学び、改めてその魅力を知った。
ジャンルもカテゴリーもどうでもよく、良いものは良いと知ったのだ。当然のことだが、一流のジャズはいい、一流の演歌は素晴らしい、一流のクラシックは感動的だ。ジャンルなどは関係なく、一流は素晴らしいのだ。芸人も同様である。
ふと、自分がかなりの数の童謡唱歌を口ずさめることに気付いた。いったい、いつ、どこで覚えたものだろう。定かな記憶はない。むろん幼児期や小学生の子ども時代に違いない。幼児の頃は母親に聴かされ、またラジオから覚えたに違いない。幼稚園に行ったことはないので、あとは学校で覚えたのだろう。昔の小学校には度々川田姉妹、小鳩くるみ、松島トモ子などの童謡歌手がやって来て、みんなで講堂に坐って聴き、一緒に歌った。…。当時は詞の意味が分からなくても、それは歳とともにやがて分かるのだ。
もちろん口ずさめる童謡唱歌は限られる。それは詩(詞)も曲も、易しくあるいは優しく、元気で愛らしく、雄勁なあるいは美しいものばかりである。口ずさめる童謡唱歌は、いずれも優れた詞と優れた曲で、いわば現代において「古典」となったものと言える。
もっと数多くの童謡唱歌を聴いたりしたはずだが、頭に、身体に残っていないということだ。明治、大正、昭和初期のたくさんの童謡唱歌を、岩波文庫の「日本唱歌集」「日本童謡集」等で知ることができるが、その多くはすでに「記録」に過ぎず、今も身体の「記憶」に残って口ずさめる曲は限られているということだ。
大和田健樹の「故郷の空」や「鉄道唱歌」は歌えるが、同じ大和田の「舟あそび」や「旅泊」は歌えない。山田美妙斎の「敵は幾万」(これは軍歌だ)は口ずさめるが、落合直文の「青葉茂れる桜井の」は全く歌えない。佐佐木信綱の「夏は来ぬ」「水師営の会見」は口ずさめるが、「勇敢なる水兵」(これも軍歌だ)はかすかにしか記憶になく、「すずめ」は全く歌えない。
石原和三郎の「うさぎとかめ」「大こくさま」「牛若丸」は歌えるが、同じ石原の「電車唱歌」は全く歌えない。
芳賀矢一作詞の「三才女」は、いまだにこの詞の何が良いのかさっぱり分からず、曲は全く知らない。「鎌倉」は何となく口ずさめるが、他に知っている唱歌も全くない。以前、富山房発行の彼の「国民性十論」を読んだことがあるが、忠君愛国、祖先崇拝と家名等…それ以外、記憶に残っていない。
犬童球渓の「旅愁」は口ずさめるが「故郷の廃家」は知らない。文部省唱歌の「ツキ」「こうま」は何とか口ずさめるが「ふじの山」「とけいのうた」は知らない。「春が来た」「虫の声」は歌えるが「いなかの四季」「人形」「ひよこ」は知らない。「池の鯉」は歌えるが「菊の花」は歌えない。
「犬」は知らず、「二宮金次郎」はかすかに記憶にあるが、最後の「〽手本は二宮金次郎」のところしか口ずさめない。「雪」は歌えるが「那須与一」は歌えない。「茶摘」「汽車」「村祭」は口ずさめるが「冬の夜」はできない。
吉丸一昌の「早春賦」は知っているが「お玉じゃくし」「木の葉」「故郷を離るる歌」は知らない。「日の丸の旗」「春の小川」「村の鍛冶屋」は歌えるが、「広瀬中佐」も「〽杉野は何処、杉野は居ずや」の部分を歌えるのみで、他の部分は歌えず、「橘中佐」も歌えない。忠君愛国を全面に出した「児島高徳」は、おそらく曲さえ聴いたことがなかっただろう。…
列挙したものの中にも幾つか軍歌があるが、子どもたちに戦争の歌、将兵の勇気を讃え、その勇敢な死を悼む歌を学校で教えることが増え始めると、童謡運動の機運が起こり始めるのである。
鈴木三重吉らの本音はこうであったろうと察せられる。なんで子どもたちに戦争や兵隊の歌ばかり教えるのか…。もちろん、文部省唱歌やその中に埋め込まれた忠君愛国、国家主義を真っ向から批判することは避けなければならない。お上の方針に楯突くことは、柔な文学者とはいえ危険なのである。大逆事件はつい十年ばかり前のことだ。その後の思想弾圧は厳しくなるばかりで、思想警察ともいうべき特高警察も発足している。教育現場での締め付けも強まっている。
鈴木三重吉らの韜晦の理屈付けはこうであったろう。文部省制定の唱歌の歌詞の多くが、お上に雇われた国学者や国文学者、歌人、詩人等の手になる美文調、詠嘆調で、教科的文脈の生硬かつ非芸術的なものがあまりにも多い。ここは児童性にあふれた口語の芸術的な歌を、民間の詩人や作家たちで創り出そうではないかと。…こうして「童話と童謡を創作する最初の文学運動」として「赤い鳥」運動の呼び掛けに、作家や詩人、作曲家らが参集するのである。それは世界に類いのない児童文学運動となっていった。
さてこうして創られた数多くの童謡が全て優れていたわけでもなく、またいまだに口ずさめるような親しみやすいものばかりでもなかった。
例えば私は泉鏡花の「あの紫は」を知らない。有賀連の「大きなお風呂」も「蟻」も「夜店」も知らない。西條八十の「蟻」も知らない。加藤まさをの「月の沙漠」は素晴らしいが、「工場(こうば)の子」は知らない。金子みすゞの「大漁」は詩を知っているが曲が付けられたかどうかも知らない。北原白秋の「アイヌの子」も木村不二男の「アイヌの子」も知らない。
葛原しげるは多くの童謡を書いているが、私はギンギンギラギラの「夕日」以外を知らない。藤森秀夫の「谷間の姫百合」も竹久夢二の「喧嘩」も知らない。浜田広介の「山のはたおり」も与謝野晶子の「願い」も知らない。三木露風の「宵闇」も白秋の「吹雪の晩」「朝」も知らない。百田宗治の「朝寒(あささぶ)」も西條八十の「つくしんぼ」も知らない。
…知らない童謡のほうが圧倒的に多いのである。
私の記憶に残り、口ずさめる童謡は、名曲中の名曲であり、童謡の古典と言ってよいものだろう。もちろん童謡は詩ばかりでなく曲が命だ。曲によって記憶に残るかどうか、口ずさめるかどうかだろう。
例えば北原白秋作詞、中山晋平作曲の「砂山」は歌えるが、山田耕筰作曲の「砂山」は子どもには高等過ぎ、歌うのが難しい。私は歌えない。また私は白秋作詞、弘田龍太郎作曲の「雨」は歌えるし大好きだが、成田為三作曲の「雨」は明るく愛らしいが歌えない。弘田の「雨」と成田の「雨」の差は何かと言えば、曲調の美しさと叙情性であろう。弘田の「雨」は記憶に残っても、成田の「雨」は記録以外には残るまい。
これら先述の歌と重複を避け、古典的となった童謡を岩波文庫の「日本童謡集」を参考に列挙してみる。それらは曲も良いのだ。だから心の奥底に、身体的に記憶される。私でも口ずさめる。
青木存義の「どんぐりころころ」、浅原鏡村の「てるてる坊主」、北原白秋の「赤い鳥小鳥」「アメフリ」「あわて床屋」「兎の電報」「からたちの花」「この道」「ペチカ」「待ちぼうけ」「揺籃のうた」、西條八十の「お山の大将」「肩たたき」「かなりや」「ズイズイズッコロ橋」「毬と殿様」、サトウハチローの「めんこい仔馬」「うれしいひなまつり」「小さい秋みつけた」、佐藤義美の「グッドバイ」、清水かつらの「靴が鳴る」「叱られて」「雀の学校」「緑のそよ風」、相馬御風「春よ来い」、武内俊子の「赤い帽子白い帽子」「かもめの水兵さん」「船頭さん」「リンゴのひとりごと」、巽聖歌の「たきび」、中村雨紅「夕焼小焼」、野口雨情の「青い眼の人形」「赤い靴」「あの町この町」「雨降りお月さん」「兎のダンス」「黄金虫」「しゃぼん玉」「証城寺の狸囃子」「十五夜お月さん」「俵はごろごろ」「七つの子」、蕗谷虹児の「花嫁人形」、藤森秀夫の「めえめえ児山羊」、富原薫の「汽車ぽっぽ」、細川雄太郎の「あの子はたあれ」、三木露風の「赤とんぼ」、三苫やすしの「仲よし小道」、百田宗治の「どこかで春が」、加藤省吾の「かわいい魚屋さん」「みかんの花咲く丘」、結城よしをの「ナイショ話」、吉田テツ子の「お山の杉の子」…。
しかしこれで「日本童謡集」の約四分の一程度だろう。あとは記憶に無い。「日本唱歌集」はもっと少ない。
童謡唱歌の作曲家も、数多くの名曲を残した人たちは絞り込まれてくる。
滝廉太郎、岡野貞一、山田耕筰、本居長世、弘田龍太郎、成田為三、中山晋平、草川信、中田章、簗田貞、山口保治、佐々木すぐる、井上武士、海沼實、河村光陽…もちろん、まだまだたくさんいる。
優れた童謡唱歌は日本の宝だ。日本が誇るべき「こころの世界遺産」だ。この中に、未来の日本の子どもたちに、残し、伝えたいメッセージや想いがある。いのち、思いやり、やさしさ、いつくしみ、互敬的なこころ、日本の自然、日本の美、日本のこころがある。それは広く世界に通じる普遍的なものを多分に含んでいる。特に童謡は世界に類い希な児童文学運動の成果だったのだ。これを後世に残し、これを世界に広めないでどうする。…
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