イワクラ学会が結成される以前に自分も大変お世話になっていた歴史作家のS氏が中心となって「何か巨石をテーマとしたイベントが出来ないものか?」と、そんな中で持ち上がったのが“イワクラサミット”でした。
その記念すべき第1回目が1999年11月に岐阜県は恵那郡山岡町(現在は恵那市に統合)で開催され全国の巨石愛好家たちが集い我々のグループもパネリストとして参加させて頂きました。
山岡町は、寒天の製造が主要産業で全国の9割を占めるそうです。
また古くから良質な陶土にも恵まれてはいますが、失礼ながらほかはあまりこれと言った観光資源も無く地味な地域でした。
そもそもここで、イワクラサミットが開催されるきっかけとなったのが、地元の巨石愛好家の皆さんでした。
「山岡町に点在する巨石を観光資源に町おこしの目玉として利用出来ないものか?」そんな熱意が行政を動かし何もなかった里山に遊歩道を整備し「磐座の森」が造られました。
(出典:巨石遺構研究:平成10年 日本環太平洋学会山岡町磐座遺構群第一次総合調査団発行より)
さらに地元巨石愛好家グループのネットワークから歴史作家で著名なS氏が現地を視察されそのお仲間だったD氏を介し「神々の指紋」で世界的に著名なグラハム・ハンコック氏を1998年に同町へ招いて「超古代文化地域フォーラム山岡」が開催されました。
そんな経緯から翌年の1999年全国各地の石好きが集う記念すべき第1回目の「イワクラサミット」が開催される運びとなりました。(イワクラサミットは現在も継続して開催されています。)
その、目玉企画として山岡町周辺の巨石探訪ツアーが実施され我々もツアーに参加させて頂きました。
今回は、その際に訪れた「磐座の森」の巨石群と同町に点在する巨石を紹介していきたいと思います。
山岡町の巨石群(写真クリックで拡大)
山岡町には「磐座の森」の他に以下の様な巨石群があります。
- 野田巨石群
- 別荘巨石群
- 源太洞巨石群
- 奥小屋巨石群
- 南洗美巨石群
- 石戸神殿巨石群
- 大久手巨石群
- 山岡滝巨石群
- 神ノ木巨石群
- 爪切地蔵巨石群
- 二百南巨石群
それぞれ特徴的な巨石群で地元の研究グループが発見し整備されてきたものだそうです。
【磐座の森】
「磐座の森」案内図(写真クリックで拡大)
各巨石に命名された名称については、地元の研究家の皆さんがつけられたもので正直???(^^;なものも多く特に謂れがあったりするものではありません。
御神体石 一番高い位置にありシンボル的な巨石である事から命名されたのでしょう。
天の岩戸 いわゆるドルメンの構造と言えなくもありません。
組石遺構 多くの巨石の中でも一番興味深いものでした。
組石部のアップ 確かに石積みのように見えなくも無いですがそれぞれ破断したブロックが風化によりエッジが取れこの様な姿になったのでしょう。
反響石とドルメン 確かにこの前で手を叩くと響いていた記憶があります。
紋様石 Tの文字が刻まれた巨石
人為的に加工し石を組わせた様に見える痕跡
同じく節理と浸食だけでは説明しにくい不自然な痕跡
正直なところ磐座=巨石とはき違えされている感はぬぐえません。
本来磐座と定義されるならば、何かしらの信仰の対象である必要であるからです。
そもそもこの由々しきはき違えの諸悪の根源は「イワクラ学会」にあると言えます。「イワクラ学会」では、イワクラの定義を以下の様に定めています。
イワクラとは、縄文時代から古墳時代にかけて形成された巨石遺構をさす。
その時代時代の人間が何らかの意図を持ってその目的や役割に合致するよう磐を人工的に組上げあるいは自然の磐そのものを活用したものと定義している。
その中でも、特に神社のご神体となっているものを「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」と呼んでいる。
イワクラ学会では、あえて磐座ではなく「イワクラ」として線引きをしているわけで…。(^^;
(2022年3月に「磐座の森」へ再訪しましたが、残念ながら整備がされていない様で現在は荒れ放題になっています。遊歩道なども堆積した落葉などで埋もれていて方向を見失いますので散策される場合は十分ご注意下さい。)
【マップ】
【八大龍王社の磐座】
八大龍王社
八大龍王と言えば「雨乞い」で昔からここで神事を執り行っていた祭祀場だと思われます。今でも大切に祀られているようです。
(撮影:1999年11月)
お断り:1999年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
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【マップ】
残念ながら巨石群の殆どは現在行政も放置の様で、管理をされていた地元の研究会の皆様も皆さまご高齢で荒れ放題の様相です。
逆にまたそれはそれで、昔の本来の自然の状態に戻りつつあっていのかも知れませんね。