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【巨石・伝承】岐阜県恵那市山岡町の巨石群~源太洞巨石群・石戸神殿巨石群・竜神の館・船岩大明神ほか

2024-02-08 11:38:03 | 磐座・巨石・社寺
前回に引き続き山岡町の巨石群の紹介です。
残念ながら当時配布されたレジュメが紛失して各巨石の名称や場所などの特定が不明です。
判明したものは出来る限り名称を記述致しましたが写真のタイムスタンプから訪れた順に掲載しました。

山岡町発行「主な巨石群のマップ」(写真クリックで拡大)
※お断り:それぞれの場所に関しては、Googleマップにも記述はなく今となっては特定が困難です。ガイドの方がいらっしゃればいいのでしょうが当時我々を案内して頂いた「山岡町イワクラ文化研究会」の皆様はみなご高齢でしたので現在は既に活動は休止されているものと思われます。

【源太洞巨石群】

方位石
おたまじゃくしの様に見える巨石
側面には目玉型のレリーフがありました。
石舞台
名称不明の巨石 長い年月をかけ左右に分離したことは想像できます。
加工した痕跡が見られる巨石
背面より
洞窟 ここで、石柱(棒?)が出土しているとのこと。
ここも不自然な巨石が並んでいた場所のひとつでした。
高さ5mほどはあったと思います。
写真の左側は平坦となっていています。わざわざ平坦にする必要性は?また、中央から伸びる巨石は異様な形状です。
鋭角な角を持つ石柱の上で天地のパワーを頂きます。
同じ箇所を違った角度から

石を切出した跡の様です。
累々と巨石が斜面に続いています。
一番高い場所にシンボル的な巨石が聳えます。手前は石の表面が平滑になっているところから何かの祭祀が執り行われていた事は想像できます。
立石 後ほど紹介する陰石との対であるべくしてある巨石でしょう。
切込みがある巨石
切断しようと試みた加工跡と思われます。
下から見上げた同巨石
階段状になっていた巨石
【石戸神殿巨石群】
石戸神殿 左右に石門とかつて階段があったと思われる残骸が見られました。
重ね石 神殿を更に上に登って行くと巨大なお供え餅状の巨石がありました。
半球石 卵の殻が剥けるような感じが興味深いです。
名称不明の最大級の巨石 
上から俯瞰すると周辺は巨大な巨石ばかりゴロゴロしています。
ここでも天地のパワーを頂きました。
下部は岩屋構造になっています。
かなり広い空間です。
岩屋は、こんな巨石二つで構成されています。
表面に見られたレリーフ 参加メンバーのどなたかが「ペトログラフ」と呼ばれていましたが、もし当てはめるならば正式名は「ペトログリフ(岩面彫刻)」です。ハワイ島などで見られる芸術的な岩刻文様は別として、日本で一部の好事家の方々が言われている「シュメール語」の図記号説は、正直意味はないと思っています。
【竜神の館】
竜神の館 いわゆる窟屋です。(ここへは2018年11月に再訪しています。)
天井岩を支える土台の部分 やはり人為的に乗せている感が見られます。
また補強する意図で楔が差し込まれています。
岩屋内部に水が流れた痕跡が見られました。
【船岩大明神】
ここは、高霊竜神(高龗神)闇竜神(闇龗神)の二柱を祀っています。
古くからここでは霊験あらたかな雨乞いの神事が執り行われていたそうです。
中央部の窪みには常に水が溜まり溢れた水がしたたり落ちています。
説明では岩窪に3トンもの水が溜まっているそうですが…。
いわゆる女陰を意図していることはあきらかでしょう。先ほどの立石と対をなしているものと思われます。
裏手に回ると二層に分離していました。
【マップ】
【磐座山南麓民家の庭先にある巨石】
巨石の手前に祭壇が置かれています。
水色のトタンの下には水源があって近年まで使われていたんだとか。
傍らに竜王龍神と書かれた石碑がありました。

背後より
最後にこの地域の竜に纏わる伝承がありましたので、転載させていただきます。 
龍王さま〈恵那市山岡町釜屋〉
梅雨の頃でした。まだ昼過ぎと言うのに、あたりは真っ暗で、まるで天が抜けたかと思うようなものすごい雨が、ひっきりなしにザーザーと降り続いていました。
 しばらくすると、激しい雨の音に混じって、村の南の山からゴオンゴオンとなんだか大きなお釜でお湯が煮えたぎるような気味の悪い音が聞こえてきました。
 村の人たちが何だろうと家の外に出て山のほうを眺めてみてアッとびっくりしました。なんと、山の腹を巻くようにして、恐ろしい姿をした龍が黒雲の中にニュウっと立ち上がっているではありませんか。龍は大きな赤い口を開き、頭を左右に振って、腹の底にズシンと響き渡るようなくぐもり声で叫びました。
 「釜屋村の者よ。山が抜けるぞ。すぐに逃げろ。山が抜けるぞ」
 村の人たちは雨の中を近くの小高い場所へすぐに逃げました。
するとまもなく、龍のいた辺りの山がゴウーと地響きを立てて崩れ落ち、釜屋村のほとんどを埋めてしまいました。
 もしも龍が教えてくれなかったら、村人たちは一人残らず泥水に飲まれて助からなかったに違いありません。
 「あれこそ龍王様に違いない」
 村人たちは龍が現れたところから少し離れて、たった一箇所だけ三角形に山の形が残っている頂上に龍王様のお宮を作って祭りました。
 その後、日照り続きで村に水がなくなったとき、村中総出でこのお宮にお経を唱えてお祈りすれば必ず雨が降り、今も竜王様は村を守っていてくださいます。(
出典:こちらより転載
(撮影:1999年11月)
お断り:1999年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。



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2 コメント

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Unknown (umaonaosora3104)
2024-02-11 04:23:11
巨石がゴロゴロですね。加工したり、積み上げたり。重機もない時代にどうやって動かしたのでしょうか。なぜこの場所なのでしょうか。謎が深まります。龍神さまの伝説。本当に昔は日照りは死活問題だったんですね。
次回も楽しみにしてます。
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Unknown (ruribo)
2024-02-12 07:47:59
いつもコメントありがとうございます。

良く皆さんが「別に人の手なんて加えてなんかいないよ。長い年月が経てば自然と摂理や風化でこういう風になるんだよ」と、皆さん話されます。
確かにそういう巨石が殆どだと思います。
ただ、岩を良く観察してもらうと明らかに不自然な部分が見られるものがあります。
ノミの跡なんかは、近年山から石を切出そうとしたものもあるでしょうが、巨石を組み合わせた岩屋などは何か墳墓か何かの意図を持ってそこに建造したわけで、無視するわけにはいかないはずですが、文献などに伝承があったり発掘でもされて土器片や祭祀の痕跡などでも出土されれば、また調査が入るのでしょうが特に何もなければ、そのまま無視されているのが現状のようです。
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