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【鳥居見聞録】京都・石清水八幡宮の「一の鳥居」は、本当に『八幡鳥居』だったのか?

2024-07-21 19:15:54 | 鳥居見聞録
『八幡鳥居』を定義する研究本(主に「鳥居の研究(根岸栄隆著)」)を読むと(日々平穏で自分も以前記事にしていますが)前期型と後期型があり
「八幡鳥居の後期型こそが神明型から明神型に移行期の鳥居であるのではないか?」
と、書かれています。
しかし、その後近年の鳥居研究者から
「鳥居の型は、当初より神明と明神の二通りの型しかなく進化 などありえない」
と、一刀両断され自分も今はそれが正しいと思っています。

「八幡鳥居」として良くネットなどで定義されている図番

 そもそも笠木、島木共に水平の神明型『八幡鳥居』は『春日鳥居』と同様に
「あくまでも宮大工の雛形本か神社建築の様式を載せた書籍中に見られるだけであって鳥居の存在は確認出来なかった」
と、根岸も述べていてそれを裏付ける証拠として享保六年に発刊された「大巧手鏡・鈴木重春」以前の雛形本には八幡・春日の掲載は無く、実際に出現するのはその発刊後になってからであり、では京都・石清水八幡宮の「一の鳥居」がそもそもの「八幡鳥居の起こり」とも伝えられている(鳥居考p116)と、言うのは嘘と言うことになります。
ただし、少なくとも記録に残る一の鳥居の建て替えは3回ありました。
・応永8年(1401) 木造り
・元和元年(1615) 木造り
・寛永13年(1636) 石造り
今に見られる一の鳥居は寛永13年建造のものと思われます。では、寛永以前の建て替えられる前の鳥居が元祖「八幡鳥居」なのかと云われれば確証が乏しくやはり「八幡鳥居」という型は存在しなかった。と、言うのが真相ではなかったかと思われます。

石清水八幡宮 一の鳥居
見た目だけでは、一般に良く見かける明神鳥居との違いはわかりません。

根岸は、島木部分の木口が垂直であるのが八幡鳥居の後期型と定義していましたが…。

微妙に島木より貫の長さの方が若干長く見えますが、目の錯覚?
やはり島木と貫の長さのバランスが微妙です。

三の鳥居に至っては襷墨が見られ、もはや八幡鳥居ではありません。

裏参道にある鳥居も同様 明神形でした。

摂社の鳥居も明神型 せめて八幡型を踏襲して頂きたかったところ

ネットなどで得られる「八幡・春日鳥居」の情報は、根岸の説を基本としているので、改めて定義を見直す必要を感じています。
ただし、現在その数は少ないものの「八幡・春日」を踏襲する鳥居が実在する以上「八幡・春日」の鳥居の定義は残しておいても問題無いと思われます。

ちなみに一の鳥居の扁額には八の文字部分にハトが図案化されています。全国の八幡神社にハトがモチーフとして使われる元となったのがここと云われています。
平安時代に書道の名人とうたわれた藤原行成が一条天皇の勅願により書いたもので、「八幡宮」の「八」の字は、鳩の姿を形どってあるといわれている。石造りに改められた折、松花堂昭乗が行成の筆跡をそのまま書き写したものであり、惣胴板張りに金字で現されている。こちらより引用)

京都「鳥居見聞録」 続きます。


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