続「台風一家」。雲のご一行様、お通り。西から。
なぜ日本人が、西洋の伝統音楽である「クラシック」と仮に呼ばれているジャンルを学んだり、楽しんだり、それを育成したりするのか? と、問うことも、もちろんできる。
しかし、とクラシックイタチは思うのだ。
じゃあ洋楽と呼ばれるジャンル全部についてはどうなのか、ロック、ポップス、ジャズその他、すなわち邦楽(仙波師匠みたいなやつですね)以外については、どうなんだろう。
あるいは、科学のようなものは、どうなんだろう。平賀源内とか、関孝和とかいうところから、独自に導かなきゃいけないんだろうか?
こういうことはあまり広くは問われなくなっただけで、依然として問題は存在するのだろうと思う。しかし、問われなくなったのは、とりあえず、いいことかもしれない、とも思う。問題をすごく単純化してしまってるかもしれないけど、要するに音楽とはかっこいいかどうかにつきる。かっこいいと思うかどうかは、人による。より多くの人がかっこいいと思うものは、時代時代で、うつりかわっていく。
だから、そういう不確かなもので生計を立てたりしようというのはあぶない。しかし世の中ぜんぶが不確かになってくるとかえってよくわかることは、ミュージシャンほどサバイバル能力の高い生き物はいないということだ。ミュージシャンは、ハイリスクである。それがクラシックの場合、投資額も大きい。あえていうと、ハイリスク・ローリターンという面がなくもない。
この投資額において、バイオリンやピアノなどのクラシックのソリストと傍目よく似てるなあと思うのが、フィギュアスケートの選手だ。フィギュアの世界で活躍するなんて、千載一遇、いかにハイリスクか。
そこでいまにわかにジュニアオーケストラに人気が集まるというのも、親の立場からすると、わかるなあ、と思うのである。ジュニアオケは、オリンピック強化選手ではない。それに、全員が音大を目指しているわけでもない。あえていえば、そんなハイリスク・ローリターンな世界へ行くとは言っていないが、その世界についてはちと心得がある、というキッズ集団なんじゃないだろうか?
しかしまあ、その「ちと心得」のレベルが、たいへん高いのも昨今というわけであります。