
昨年は、とても背が小さくて、それでも身体はとっても丈夫だった祖母が100歳で亡くなったので、ほとんどめでたいというべきだという話と、いや2等親だから喪中であろうという話と、夫の姓である「池谷家」には関係ないのだから喪中にはあたらない、などという話が交錯した挙げ句、ググっても結局みんなそれぞれにやってるみたいなので、めでたく正月を迎えることにした。なんとな~く準備のつもりだけはしていたが、実際におせちを作り始めたのは31日のほとんど紅白歌合戦が始まってからで、その前の年には細川たかし絶賛、昨年はやっぱり私的には、五木ひろしがすごかったです。
紅白のはなしはまた別途、ということで。
迎えたお正月には、暮れに学校見学に行った宝仙という学校から、受験生を激励する年賀状が届き、これはありがたいからということで、宝仙寺というお寺にお参りに行くことになった。
ところで宝仙寺というのは中野から阿佐ヶ谷一帯にかけての別当寺で、かつて東京市の時代には区役所の機能があったという。その説明会で「広重が2枚描いている」というから、そう通り一遍なものではないに違いないと思って調べると、次々と「歴史」は掘り起こされるのでありました。いやあ、知らなかった!
別当寺というからには、かつては神様と仏様がいっしょのところで、というのが役目だったわけで、初詣というとこれはもうたいへんな人出だから、この節、マスクでもしていかなければ風邪をうつしあうに違いないというわけで、重々準備してでかけたのであったが、なんのことはない、阿佐ヶ谷では隣りの神明宮は満員だが、世尊院という、移転前の宝仙寺があった場所に名残として立てられた寺院はさほどでもないどころか、ふだんの風情ですらあるのだった。
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