
※ヒビキ以外の子供たちのお顔はぼかしてあります
「自分は先生になって3年目で、そのうちの2年間教えた子どもたちが、卒業しようとしている」と先生は言った。「卒業生を持つのは初めてなので、すごく緊張している」と。
なんてストレートなものいいだろう、と私は思った。この人のことばのなかには「走馬燈のように」とか「こころの琴線に触れる」とか「一期一会」とかいった表現が現れることはないだろう。つまり、そこには言ったままのことが在り、言っていないことは無い。しかし私たちの多くは、そんなふうにはでてきていない。それがかえって、彼のことばは即座にはわれわれの耳に快く響かないといったことにもなる。
それが1月のことで、3月に入って最後の父母会が行われた。翌日行くことになっていた鎌倉課外学習について、卒業式までの学習の様子、生活の様子について、卒業式前の行事について、卒業式の服装について……等々。父母会は通常はクラスごとだが、この時ばかりは6年生2クラス合同の集まりで、しかもきりりとした雰囲気で、定刻通りに進行していた。
ところで。ぜんぜん学校へ行っていない私は、実は、その時ほぼ初めて、6年のもう一方の担任の先生にお会いした。一度ご挨拶をしたことがあるきりで、どういう方なのかまったく知らなかったのだけれども……ほんとうにびっくりしました(笑)。
いや、なぜってぜんぜんうちの先生と違う話しぶりだったから。言葉の選び方から話すテンポまで山といえば川、親たちに川の準備がないときは、受けを誂えてでも山を繰り出すことができる、そのたいへんな気配りワザには文字通り、恐れ入ってしまった。いや、その闊達を初めて聞いた私は震撼を通り越して赤面しそうにさえなった。平静に聞いているうちの先生をみて、これがいかにいつも通りのことなのか、私はたいへん遅ればせながら了解したわけだった。ああ、6年生をこのお二人でやってきたんだなあ、と思った。私、いつになく、ストレートなものいいですが。
となりのクラスの先生の進行で、首尾よく話がまとまると、時折、うちの先生にバトンが渡される。するといつもの話しぶりだった。卒業式が過ぎたら、このクラスはもうまるごと存在しなくなってしまう。彼の思いの至るところ、たぶんそのこと以外ではなかっただろう。そしてそれが、いよいよなんだ、と。ついでのようだけれども、それを聞いているとなりのクラスの先生の、潰えたような静かさも、非常に印象的だった。
先生たちの言うとおり、ほんとにすごい学年だったんじゃないかな、と私にも思えてきて、いつもは長い長いと思う父母会が、ぴたりと1時間で終わった。帰り際、1教室に集まっていたために、がらんどうになったもうひとつの教室をのぞくと、2人の先生が別々に窓際に立って、校庭を眺めていた。今まさに燃え尽きんとする太陽が、西の端にかかっている。こころにふとい橋がかかっているが、それでもお互いに寄りかかることのないふたつの影。声をかけることはできなかった。ほんとうにもう、秒読みだ。私たちもそろそろこころの準備を始めなければなるまい。
「卒業まであと何日?」
子ども達もきっと、そう言いながらの毎日だったろう。そして先生は、黒板に書かれた日直の、最後の名前を消したのだ。

↑卒業文集でヒビキに贈られた先生のことば。親子して……(ですよね↑)
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