響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

アポロシアターの座席はグルーヴする。

2008-09-24 | コレクション
アポロシアター
↑ニューヨーク、Upper Manhattanのハーレム地区にあるアポロシアター。2000年4月撮影 photo by keiji

このところ、大昔の2000年にニューヨークへ行きましたという話をもたもたと書いているのですが、書いているうちにもニューヨークではいろいろな出来事が起こるので、あっちこっちとふらつきつつ、今回はやっと、前々回に予告したアポロシアターのお話。

これは私たちが唯一現地の日本人のアテンド付きツアーで行ったライブで、というのもハーレムにあるというので、かなりびくびくものだったのである。しかしながら私たちが乗ったバスはセントラルパークを抜け、まずはソウル・フードのようなのを食べて、とてもオープンな感じの黒人の教会の人々に歓待を受け、みんなでまたぞろぞろとバスに乗って、やっとアポロシアターに着くというような段取りであった。今振り返ると、ツアーのように他人任せだと、余計に状況がわからないのでかえってびくびくするのだと思う。

というわけでやっとこさアポロシアターへ。座席配置の雰囲気は半蔵門国立劇場の大ホール(歌舞伎のホールですね)、しつらえは今はなき、古い方の池袋文芸座というという感じだったと記憶する。そもそもこのアポロシアター、現役の何かの「殿堂」というわけではなくて、今や「歴史的な建造物」扱いで、毎週水曜日の「アマチュアナイト」というのが主な興業という次第なのだ。ロビーのあたりとかがなんとなく優雅に作られていたのが大時代的だと思ったような記憶もある。

だがこのさびれたホールの記憶は、ニューヨークの想い出の中でもかなり印象深いもののひとつだから、旅というのはどこでなにを拾うかわからないものである。

夫はこう書いている。
アマチュアナイトはアメリカののど自慢みたいなモノだった。確かにレベルは高いのかもしれないが、やはり素人の芸の域は出ていない。残念ながら感心するほどうまい歌はなかった。(中略)むしろ「みもの」だったのは客席のノリの凄さで、応援に来ている客たちが、とにかく大騒ぎする。立ち上がって両手を上げて、もうギャーギャーと楽しそうに騒ぎまくる。これが黒人独特のノリとバネがあって、見ていてもとても楽しい。ちょっとしたダンスにもグルーヴがあるし、司会もMCもスタンダップコメディのノリでガンガン紹介していくのだが、それもまるでラップのようにリズミックだ。いかに黒人がリズムのセンスに優れているかを思い知らされた気がする。(それに比べて一般の白人はリズムのセンスが悪いように思った。下手すると日本人のほうが彼らよりリズム感はいいのではないだろうか?)

そうそう、おかげで私も思いだす。いや東京でもいい、池袋文芸座の赤い座席を憶えているだろうか? バネが左右違った強度になっていて見るからにいびつになっており、立つと勢いよく椅子が跳ね上がってぎしぎしと音を立てる。

アポロシアターの座席は、あれの大がかりなものだ。

別に満席という訳ではないのだが、私たちの前にはずらりと一列黒人の観光客がずっしり──とにかくみんな80キロや90キロはありそうな人々なのだ──腰掛けているのだが、その巨体のまんまとんでもない切れ味で、歌い踊りまくるのである。私たちの前にある一列になった座席そのものが、もはやウェイブと化して、リズムにあわせてうねりまくる(比喩ではありません)。そして何度も、この一列の椅子は、この陽気なお客さんたちを乗せたまま、バッタリこちらへ倒れてくるのではないか?──そんな心配をしている間にも、彼らはただ踊り続けるのであった。

そして旅の記録によれば、その後に、昨日書いたエンパイアステートビルへ行ったらしい。

夫は記している。
漆黒のビロードに宝石をぶちまけたような、贅沢な夜景だった。その数え切れない宝石のような灯を見ながら、マンハッタンという狭い島には、一体いくつの世界が並列して存在しているのだろうと、ふと思った。

私のなかにレム・コールハースというリファレンス・ブックがあったとすれば、夫の中には村上龍があったのかもしれない。

アポロシアター
↑Google Street Viewより、2008年のニューヨーク、アポロシアター。

[ニューヨーク2000年滞在記、WTCツインタワーがあった頃。]
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |


最新の画像もっと見る

コメントを投稿