
(前回のつづき)
さらに私にとって考えさせられたのが、
そのような事態をご本人たちがもっとも敏感に感じとって、
それについてどうしようか、と考えている、という点でした。
……というのは、とにかくすべてが「ちゃんと」準備されている。
もちろん忙しいなかなので、時間的には割けなかったりということはあるでしょうけれども、そういうこまごまとした気配りをぜんぶやるということがスーパー優秀にできてしまうので、結局できてしまっている。
──なぜ歌うのか、どう演奏をつくってきたのか、何を伝えたいのか。
私たちが今ここ、ステージの上にある理由というものが、すべてきちんと自分たちに説明でき、メンバーに共有されており、さらにそれを客席に説明できる。しかも話すプロなので、飽きさせない、途切れさせない、おもしろみをまぜる、引く、押す、客席を回る、レスポンスを乞う……と、自在にMCを展開できる。企画も尽きない。それからメンバーそれぞれの個性というのもきちんと打ち出してくる。
──どうしたら「来てよかったな」と思ってもらえるだろうか?
自分たちにとっての意義だけじゃなく、どうしたら楽しんでもらえるだろうか、また協力してくれる人たちが自発的に、楽しく参加してくれるだろうか。そのことへの配慮がものすごい。そもそもM先生がそういう方だから、当たり前といえば当たり前なんだが、改めてその徹底ぶりに頭が下がってしまう。
このような、あまりにも過剰なミッションに、私はやや呆然となった。要は資質がリッチすぎるのだ。さらに究極な問い……
──ゴスペルとは何か、音楽とは何か。何だろう?
実際にグループとして、客観的にどう評価できるのか、ゴスペルの専門家の指導も受けたのだという。そんな話題もさりげなくトークの中に混じってくるのだが、もちろんこれは相当真剣な話であって、アマチュア音楽というのは続けていくことがとても大切なことではあるけれども、進化・変遷していくことも自らに課したほうがよい(と私は思います)。具体的にはたとえば譜面通りとアドリブをどう構成していくか、アドリブはどこまで「自由」か、ソロとコーラスの割合等々……などに課題を感じていらっしゃるのではないか? などと憶測したりする。
そこで私は
客席は、今のままでもう140%満足だというのに。
と嘆息したのだが。
だけどこんなコンサートは滅多にないです。
ただま、MCサイテーのビッキーズとしては(笑)、
音楽(のステージ)はもっとぶっきらぼうでもいいのかもしれないです。
伝えたいことは音楽なんで、音楽以外「なし」というずーずーしさが基本。
……いや、そんなことはとっくにご本人たちでわかっているんだよなー。
アマチュア音楽と集客について、ほんとうに考えさせられました。
そのあたり、当然ながら、やっぱりプロの芸術家は非常に明瞭です。
御参考(特におしまいの段落)↓
Researchmapつながるコンテンツ新春号
堤剛学長 桐朋学園大学
http://article.researchmap.jp/tsunagaru/2012/01/
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