働いている時、何時辞めることになるかが心配の種だった。
病気が酷くなって辞めたら障害年金はいくら出るのだろうと計算してみても、本当のところが分からなかった。
私はそれまでお金で苦労したことが無かったので、お金のない暮らしが恐怖だった。
「神様、お金の苦労はさせないでください」と祈ってはいたものの不安は付き纏った。結局神様はそうはさせられなかった…主は凄いの言葉に尽きる。
たとえ辞めてもなんとか暮らしてはいけたと思うが、母には苦労を掛けてくなかった。
私は夜遊びに行くことは出来なかったから、職場と家との往復の暮らしだった。
お給料は確実に貯まっていった。ある程度まとまったお金が貯まると、私はそれを個人年金に割り当てた。前納すれば安くて済むし、10年後には自分に年金として降りてくる。
それをいくつも積み立て、40歳、43歳、46歳とお金が貯まればそれをした。年金が降りれば更にお金が貯まるのが早いので、次々やって、気がついたら無意識に利殖をしていたのだった。
こうして不安は少しずつ軽減された。定年より前に退職したが、お金に困ることはなかった。
よく働けたと思う。と言っても年に3回位3週間位の入院をしていた。「治験コーディネーター」という特殊な職業に就いていたこともあるが、職場は寛容であったから助かった。
嫌味も言われたこともあったが、タクシー通勤をしながら働いた。
他の職場に「球脊髄萎縮症」の方がいて、彼も車椅子になっても特別に車椅子用トイレを作ってもらったりして働いたから、職場の寛容さが窺がえる。
よい職場に恵まれて感謝している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます