乳癌と診断され、直ぐに入院、手術となった。
左胸部の乳癌で、先生は全摘にするか部分切除にするか私に問うた。
生存率はどちらも同じと言われ、私は部分切除を選んだ。
私が「多発性硬化症」だと言うと、あんたはそんな病気じゃないと否定した。どうも他の感染性の病気と勘違いしたらしい。
また、「重症筋無力症」とも言われたと言うと、手術室で筋電図をしてくださってあんたは「重症筋無力症」じゃないと言って全身麻酔で手術を行なった。
あとで全身麻酔ってなんで楽なんだろうと思った。卵巣嚢腫の手術のことがあったから…。
勿論術後は、麻酔が切れると痛んだ。でも日にちが経つうちに軽くなることが分かっていたから耐えられた。
術後直ぐに先生は、「はい、手を挙げて!」と言われたので、私は思い切り手を挙げた。そういうスパルタの先生だった。動かすことが大事だということだったのかもしれない。
リンパの廓清も行なったからな、と言われた。
術後から抗がん剤であるホルモン剤が始まった。
暫くしてコバルト照射が始まった。コバルトを当てると足の先から痺れが段々身体の上の方に上がってきた。
そして身体がこんにゃくのようになった気がした。
気持ち悪いので先生にやめて欲しいと言うと、コバルトしないなら全摘すればよかったじゃないかと叱られた。
先生は叱る時は叱るが、次の日はすごく優しかった。
コバルト照射中は時々放射線科の先生の診察があったが、ある時患部が赤くなっていると言って、主治医に言いなさいと言われた。
主治医はそれを見て、患部にメスを入れると膿が流れ出した。化膿していたのだ。細菌検査室に検査を依頼した。
傷が開いたままコバルトを当てると、肉汁が焦げる匂いがした。
傷が閉じると化膿がひどくなり、傷が開くと化膿が止まった。
10日後にやっと検査結果が出て、嫌気性菌がいることがわかった。それに合う抗生剤を飲むようになって
熱を持った胸はやっと治まってきた。
それまではコバルトの痺れと化膿のせいで随分気分が悪かったが、段々と落ち着いてきた。
コバルト照射がやっと終わって歩いてみたらロボット歩きになっていた。
どうしよう、こんなんじゃ働けないと先生に訴えると、「大阪に行ってみるか?大阪に北野病院という病院があって、僕の先輩が神経内科部長になってるんや。」と京都弁で言った。先生は京都大出身だった。
私は行ってみることにした。
すると、先生は私の神経内科のデータを徹夜で整理してくださって(病気の根拠になるものはないのに)、渡してくださった。
私が乳癌になった時、先生はちゃんと働けるようにしてやるからな、と言ってくれていた。
私はその言葉にすがって、甘えて、
期待を持って行ってくることにした。
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