37歳で左眼が見えなくなり(今はかなり回復)、マンションで一人暮らしを始めて7年後、家を建てた。
数年後、腰が痛くて整形外科にかかったら、卵巣嚢腫があることがわかった。腰のレントゲンを撮ったら、卵巣が腫れていたのだ。
直ぐに婦人科に回され、手術することになった。
本来ならば全身麻酔で行うところを、「重症筋無力症」という病名が付いていたことから、腰椎麻酔と硬膜外麻酔ですることになった。
全身麻酔だと、筋力の低下を招き、呼吸筋への影響を免れないためだ。
しかし、実際は重症筋無力症でないのに部分麻酔でするのは酷だった。
意識はあるからお腹の辺りを触られているのがわかって気持ち悪くて吐いた。
局所麻酔はもう御免だと思った。
翌年、ある日曜日の夜、何故か乳癌でもあるかも知れない…と思って触ってみると、なんだかしこりがあるような気がした。心臓がドキドキした。
一番に思ったのは、癌かも知れないという思いよりも、このまま収入が閉ざされたら…という心配だった。
暫くして、リンパが腫れているのかも知れない、と思いグッスリ寝た。
翌日、職場の上司にこのことを話し、今日か明日、外科に掛からせてくださいとお願いした。
暫く経ってから、その上司から明日まで待つのは落ち着かないだろうから今日掛かったら?と言われそうすることにした。
その頃、主任部長は病気で、主任部長代理の先生に当たった。のちに一日違ったら、私の人生は大きく変わっていたかも知れない…と思う。
熱血漢のその先生は多分癌ではないと思うが、念の為生検しょうと言って、後日手術場で局部麻酔で局部を一部切り取って、病理部に出した。局麻は痛くなったら麻酔薬を追加しながらするものだから、終わった後痛くてたまらなかった。
後日、結果が出たと連絡があって、残念ながら癌でした、と言われ、私はそうですかとだけ言って静かに受け止めた。後であの時の態度は立派だったと言われたが、私としては、前に難病の「多発性硬化症」と言われたのだから、それ以上の病気は存在しないような気がして、自然とそういう態度になっただけだった。
その後、まだ色々あったが、あり過ぎて次回に回すことにする。
ただ言えるのは、この2つの病気のあと、それぞれ自宅療養があったが、安心してゆっくり休める家があってよかった…という思いだった。
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