(これまでのこと)
一般検査室のあとは、確か化学検査室に行かされた。
今でこそ、オートメーション化されて、検査技師が1人か2人でどこにいるかわからない感じだが、その頃は人海戦術で10人以上はいただろうか?
大きな伝票に数字を振る人、番号や名前、測定項目をパソコンに入力する人、など分かれていた。パソコン入力はスピードが必要だから気性の激しい、女性主任がしていたような気がする。
それにチェックする人や、血糖値を測定する人など、あまり効率的ではなかったイメージがある。検体自体は器械が測定していた
私は何をしていたのだろうか?血沈の測定はしていた気がする。1時間後、2時間後に測定するが、本数が多い為、もたもたしていると、最後の検体は1時間半後になってしまう。もたもたしているつもりはないが、病気のせいで私はゆっくりしか出来にくく必死だった。
検体は1週間4℃で保管し、それを過ぎると1ヶ月間凍結して保存する。
データがおかしいと問い合わせがあって再検する必要があるからだ。
検体はチューブに入れて保管するが、私はチューブを持って細いチューブに番号を書くのが苦手だった。チューブを持つ手が不安定で支えられず、狭い所に細かい番号を書くのが出来にくいのだ。普通の人が簡単にやれることがどうしても出来ない自分が悔しかった。全く出来ない訳じゃないが、人より遅くなるのだ。
そんな私にも早出があって、朝皆んなより1時間くらい早く来て、機械の立ち上げ(スィッチを入れること)をして、測定する器械に検量線を描かせる為に試薬を入れなければならなかった。
これらは、小さなノートにすることを全部書いていたから失敗はなかった。でも、私がどんなにヒヤヒヤしながらしていたか知る由もないだろう。
そこにずっといる人は、何でもない事でも、私はいきなり行ってさせられるのは堪ったものじゃない。
そんな生活を数ヶ月は送った。
他の人には分からなかったかもしれないが、とにかく私は耐えた。
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