4月22日(2009年)、また私の希望で「木曜例会」を開催してもらった。午前9時30分、JR大津駅集合、メンバーは男ばかりの7名。平均年齢は、70ウン歳。最年少は58歳の私、そして85歳のカタさん、80歳のナカさん、そして、60代と70代。リーダーは今回もA太郎さんだ。
(さあ、出発。大津駅前)
(花がきれいです)
(さざなみ街道はいい道です)
大津駅を出発して琵琶湖沿いに東進、近江大橋を渡って、自転車道の湖岸を快適に北上。そして琵琶湖大橋を渡って湖西の堅田に。11時半ごろで、時間が少し早いが「途中」(とちゅう、と、読む。ずっと、となか、だと思っていた)への道を登ると食べるところがなくなるのではという恐怖感から、堅田のIZUMIYAに入る。私は、カツ丼&ミニうどんの定食650円。この「途中」は地名で、「とちゅう」と読む。私はずっと、「となか」だと思っていた。
(琵琶湖大橋)
(鮎寿司を食べようと思ったら、お菓子やだった)
(カツどんです)
(花もたくさんありました)
(てんとう虫です)
(虫です。がんばっています)
途中への道は、京都のサイクリングマップには「レインボーウード」と紹介されている。でも、天気がよすぎるのか?虹は見ることが出来なかった。それなりのどんどんと登る。そして、「未知との遭遇」だ。
(坂の途中で小?休止)
(峠はもうすぐ?。途中トンネルを通らずに旧道を行く)
(おじさんがいた)
急坂をトップを切ってさっそうと?登っていた私は、途中の峠付近で大きな荷物をつけた自転車と人を見つけた。春休みにがんばっている青年がいる、いい感じだ、と近づいたらおじさんだった。ヘルメットの中をのぞくとけっこう薄い。
(ビルと記念写真)
彼はイギリスかた来た52歳のおじさん、ビル。長崎から稚内まで自転車旅行をするのだという。長崎から12日目で、京都から鯖街道を北上して途中まできたという。いやいや、おどろいた。稚内まで行くのならわざわざ山登りで途中まで登ってこなくてもいいのに、と思うのは余計なお世話だ。
ビルは、途中から我々の登ってきた道を下り、琵琶湖大橋を渡り、大津にでて、東京に?向うのである。いや、はや。
ビルは、毎日、自転車旅行のレポートをしているとのこと。いただいた名詞にそのアドレスが、あった。毎日書くとのこと。重い荷物のなかにはコンピュータも入っているのだろう。我々のこともでているはずだ、と思ってみたら、はい、さっそく出ていた。
4月22日のビルの日記。
ビルは、自転車で世界旅行をしているのだ。アメリカ大陸横断、トルコから中央アジア諸国をまわって中国、などを、達成している。
(三千院への近道。川が石鹸の泡だらけなのがいただけない。)
(神社がありました)
(花もあります)
ビルと分かれて途中からの大爽快の京都への下りである。まず、大原三千院に行った。入館料を700円払ったので、ゆっくりと拝観した。いや、よかった。新緑が目にしみる。紅葉の季節もいいだろう・・・。こんなに有名なのに、私は今回入ったのが初めてだ。
(庭がすてきです。)
(水がちょろちょろ)
(ここでも・・)
(・・・・・・)
(こんどは、秋に来たい)
(自画像)
三千院から京都に向かう。京都から途中を経由して敦賀までが「鯖街道」なのだ。ひょとしたら「途中」は、鯖街道の「途中」か?????
京都市内に入ったところで隊はばらける。A太郎さんとカタさんはA太郎さんのご子息の出展している絵画展に、さらに阪急組、JR組、そして私はまだ明るく時間があったので「さらに散歩」組だ。
(うろうろしていると大文字山が見えた)
(知恩寺)
(鴨川をくだる)
(つかまえた)
(四条まできた。がまだあった。150円が誘惑だったがふりきった。)
いや、今回も充実、大満足のサイクリングだった。約65キロ。A太郎さんみなさん、そしてビルさん、ありがとうございました。
(なかなか、ステキ)
(京都タワーまできた。修学旅行生が走っていた。)
(さあ、出発。大津駅前)
(花がきれいです)
(さざなみ街道はいい道です)
大津駅を出発して琵琶湖沿いに東進、近江大橋を渡って、自転車道の湖岸を快適に北上。そして琵琶湖大橋を渡って湖西の堅田に。11時半ごろで、時間が少し早いが「途中」(とちゅう、と、読む。ずっと、となか、だと思っていた)への道を登ると食べるところがなくなるのではという恐怖感から、堅田のIZUMIYAに入る。私は、カツ丼&ミニうどんの定食650円。この「途中」は地名で、「とちゅう」と読む。私はずっと、「となか」だと思っていた。
(琵琶湖大橋)
(鮎寿司を食べようと思ったら、お菓子やだった)
(カツどんです)
(花もたくさんありました)
(てんとう虫です)
(虫です。がんばっています)
途中への道は、京都のサイクリングマップには「レインボーウード」と紹介されている。でも、天気がよすぎるのか?虹は見ることが出来なかった。それなりのどんどんと登る。そして、「未知との遭遇」だ。
(坂の途中で小?休止)
(峠はもうすぐ?。途中トンネルを通らずに旧道を行く)
(おじさんがいた)
急坂をトップを切ってさっそうと?登っていた私は、途中の峠付近で大きな荷物をつけた自転車と人を見つけた。春休みにがんばっている青年がいる、いい感じだ、と近づいたらおじさんだった。ヘルメットの中をのぞくとけっこう薄い。
(ビルと記念写真)
彼はイギリスかた来た52歳のおじさん、ビル。長崎から稚内まで自転車旅行をするのだという。長崎から12日目で、京都から鯖街道を北上して途中まできたという。いやいや、おどろいた。稚内まで行くのならわざわざ山登りで途中まで登ってこなくてもいいのに、と思うのは余計なお世話だ。
ビルは、途中から我々の登ってきた道を下り、琵琶湖大橋を渡り、大津にでて、東京に?向うのである。いや、はや。
ビルは、毎日、自転車旅行のレポートをしているとのこと。いただいた名詞にそのアドレスが、あった。毎日書くとのこと。重い荷物のなかにはコンピュータも入っているのだろう。我々のこともでているはずだ、と思ってみたら、はい、さっそく出ていた。
4月22日のビルの日記。
ビルは、自転車で世界旅行をしているのだ。アメリカ大陸横断、トルコから中央アジア諸国をまわって中国、などを、達成している。
(三千院への近道。川が石鹸の泡だらけなのがいただけない。)
(神社がありました)
(花もあります)
ビルと分かれて途中からの大爽快の京都への下りである。まず、大原三千院に行った。入館料を700円払ったので、ゆっくりと拝観した。いや、よかった。新緑が目にしみる。紅葉の季節もいいだろう・・・。こんなに有名なのに、私は今回入ったのが初めてだ。
(庭がすてきです。)
(水がちょろちょろ)
(ここでも・・)
(・・・・・・)
(こんどは、秋に来たい)
(自画像)
三千院から京都に向かう。京都から途中を経由して敦賀までが「鯖街道」なのだ。ひょとしたら「途中」は、鯖街道の「途中」か?????
京都市内に入ったところで隊はばらける。A太郎さんとカタさんはA太郎さんのご子息の出展している絵画展に、さらに阪急組、JR組、そして私はまだ明るく時間があったので「さらに散歩」組だ。
(うろうろしていると大文字山が見えた)
(知恩寺)
(鴨川をくだる)
(つかまえた)
(四条まできた。がまだあった。150円が誘惑だったがふりきった。)
いや、今回も充実、大満足のサイクリングだった。約65キロ。A太郎さんみなさん、そしてビルさん、ありがとうございました。
(なかなか、ステキ)
(京都タワーまできた。修学旅行生が走っていた。)
ビルさんの日記、Goodleのホームページから、ツールバーをダウンロードすると「翻訳」があって、ページ全体が一気に翻訳されます。ただ、変な意味不明のところもありますけど。英語がわからないものには助かります。YOSHI
グーグル、やってみます。ありがとうございました。
みんな元気ですねえ。
ゆうさんの写真も安定してますが、52歳のビルさんのブログの写真も素晴らしいです。
10年前ならあれだけのブログ毎日更新してたら、注目の的になったでしょうが、インターネットがこれだけ普及してくると、膨大な数のブログやサイトが登場して、中にはとんでもないもの多く含まれてるので、それほど目立たないのかもしれませんね。
情報の洪水は、個々の情報の価値を低くしているかもしれませんね。
希少価値の価値(^_^;)というものを考え直すときかもしれません。