(淀川を快適に走ります)
中高年の9名の男が、阪急神崎川駅に集まった。
8月25日、午前9時30分、の予定が、我らがA太郎のパンクトラブルで、少々遅れた。
きょうのリーダーは、おおさん。神戸在住なのに、大阪もよくご存じで、今回は、大阪の歴史サイクリングだ。
神崎川自転車道を登り、淀川自転車道まで。
そして少々南下して毛馬閘門から大阪城へ・・・。
雨、あるいはゲリラ豪雨が予想されていたのに、最後まで降られなかった。
午後には、カンカン照りになった。
大阪城をめぐり、「真田の抜穴」の勉強もして、昼食はNHKの食堂で。
ここで、A太郎さんと最高齢88歳のかたさんは、帰られて、残り7名、舞洲などなどを走った。
そして、阪急神崎川にもどってきた。
車で帰る人、電車で帰る人、自転車で帰る人など・・・。
私は、自転車で帰ることにした。
単純に国道2号線を帰るのも芸がないと思ってウロウロしたら、完全に迷ってしまった。
地形の単純な神戸と比べて、あのあたりは難しい。
川もいろいろ、電車もいろいろ、方向性がつかめないのである。
そして、どうゆう訳か、阪急服部から電車で帰ってきたのでした。
約70キロ、楽しいサイクリングでした。
リーダーのおおさん、最後を走ってくれたAnPonmanさん、みなさん、
ありがとうございました。
(ここからスタートです)
(マーチングの練習をしていました)
(「こうもん」です)
(中之島に水陸両用観光船が進水しました)
(大阪城です。石が立派です。)
(余裕綽々??の面々です)
(三光神社に行きました)
(由来です)
(戦争のときは、たいへんでした)
(ここにあたります。おおさんが大阪の闘いの概念図をコピーしてくれました)
(真田の抜け道があります)
(大阪城本丸まで、つながっている???そうです)
(陸軍墓地もありました。西南の役、日清、日露戦争もあります。アジア・太平洋戦争のときは、場所がなくて合葬墓しかできなかったそうです。)
(付近には「からほり」があります。地形的に、台地になっていて水を引けなったそうです。おおさん、勉強になりました。)
(玉造大聖堂にいきました。)
(よく行っているのに、なんの像かしりませんでした)
(失礼しました・・・)
(ガレシアさんが使った井戸もありました)
(難波の宮です)
(このあたりもよくあるいていました。今回、自転車でいくと、ほんとにすぐでした)
(NHK、大阪歴史博物館で昼食です)
(カツカレー900円をたべました)
(建物の中には、難波の宮の柱跡がたくさんありました)
(A太郎さんがボランティアに行った南三陸のグループです)
(このへんで、活躍しています)
(ゆうさんもTシャツ、1枚1000円を、2枚注文しました.
A太郎さんは、今度は、2週間大工道具を車に積んでもう一度行かれるそうです。ごくろうさまです。A太郎さんはゆうさん御用達のすき間家具職人さんです。)
(大阪にも神戸より早く欧米人の「居留地」がありました)
(ふむふむ・・・)
(こんな石碑も・・)
(こんなのも・・)
(開発で撤去されそうになったのを、地元の人が1か所に集めて保存されました。いいことです。ごくろうさまでした。)
(川を渡る自転車用のエレベータがありました。開くとわっと人が集まってきました)
(もちろん、人間だけでも乗ることができます。車用もありますが、現在は使われていません。)
(最近新聞にもでていた、防潮堤です。かっこいいです。)
(天保山から3時の渡し船に乗りました。アンパンマンさんのリードで間に合いました。アンパンマンさんとは、ここでお別れです)
(海遊館ともお別れです)
(ゆうさんの愛車です。なにもつけたくなったのですが、あまり暑いのでボトル入れをつけました)
(USJ側につきました)
(ここを登って舞洲に渡ります)
(ぐるぐると登ります。傾斜はそれほど強くありません。)
(スポーツ公園です)
(ここでは泳げません)
(すばらしい展望です)
(明石海峡大橋もよく見えました)
(第2USJかと思ったら、焼却場でした)
(迷ってこんなとろこにでました)
(力不足です・・・)
(結局、ここから電車に乗りました)
(その前に、フライを食べました)