ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ

飛田雄一の個人的なブログ、オカリナ、登山、自転車のことなどを書こうかな・・・

コロナ自粛エッセイ・番外編① 「オカリナ・ことはじめ」

2020-11-10 11:32:30 | コロナ自粛エッセイ
飛田雄一
コロナ自粛エッセイ・番外編①
「オカリナ・ことはじめ」

●一

 初めて、神戸大倉山文化中ホールのステージに立った。神戸オカリナフェスティバルだ。二〇〇一年六月、プログラムに、以下のように書いた。

「一昨年、私の勤める神戸学生青年センターでオカリナ奏者、鄭光均さんのコンサートを開いてから、はまってしまいました。人の迷惑もかえりみず、日夜?練習に励んでいます。吹けそうな曲をさがすため、子どもの音楽教科書をながめたりするのも楽しいものです。この会のためにテープ録音をしてから、すぐに愛器のオカリナを落として壊してしまいましたが、くじけずに買い直して、またやっています。懲りない中年です。」

 鄭光均さんは、兵庫県加古郡在住のオカリナ製作者/奏者。各地で演奏活動を行うかたわらカルチャーセンターでオカリナ製作教室を開いている。
 フェスティバルは録音テープを提出して、そこで選考されるとのことだった。しかし実際は、申し込み者が四九組だけで全員がOKとなった。せっかく練習をしてテープを送ったのに意味がなかった。私の曲目は、①アリラン、②ビリーヴ(NHK生き物地球紀行)、③見上げてごらん夜の星を。
 その日のゲストは宗次郎さん、私たちの演奏をどこかで聞いていて、全員にコメントを書いてくれた。後日、事務局から、記念写真とともにそのコメントが送られてきた。

「頑張って練習しているのがわかります。音色もオカリナだなあと思わせます。譜面通りに吹くだけでなく、自分なりの表現を心がけてみてはいかがでしょうか?」

 喜んだ。ますますはまることになった。
 私が「愛器のオカリナを壊した」は事実だが、「買い直した」は事実とことなり(たいそうな‥‥)、東京の「アケタ」本部までいって修理してもらった。アケタの人に、電話をかけてくる人は多いが、実際にここまで来る人はほとんどいないですと言われた。お預けして修理をお願いし、他のオカリナも目の前で自分用に調律してもらった。全体を三分の一音、上げてもらった。
 そのとき、「電子音叉?」を使っていた。チューナというそうだ。私は、音叉といえばチンと鳴らすものしか知らなかったのだ。中学時代、教会のクリスマスキャロルで指揮をしたこともあるが、その時は、チンとやっていた。帰路、さっそくチューナを買った。調律後のオカリナを早く吹きたくて、都内のカラオケ店で吹いたりもした。せっかくなので、ついでに、何曲か歌った。

●二

 オカリナを作ったこともある。一〇個ほど作ったが、音がかろうじて出るのがそのうちに二、三個、残りはスースーというだけだ。高校の同級生で陶芸家の金正郁さんに焼いてもらった。作り方は以下のおとり。オカリナの形を粘土でつくり半分に切る。中をくりぬいてまたはり合わせる。そして、音階用の穴をあける。この調律にアケタでの見聞が役にたった。オカリナ製作でいちばん大切でいちばん難しいのが吹き口だ。ほんとに難しい。
 粘土で勝手に作ってもいいし、型を買ってそれで固めて作ってもいい。私も両方した。残念だがかろうじてなるのは、後者の方だ。裏面のふたつの穴の調律が難しく、巨大な穴をあけないと音程が合わないのだ。買った型はその後、使っていない。希望者には差し上げる。と、探してみたが見当たらない。すでにあげてしまったかもしれない。
 オカリナは、音のでる範囲が限られている。ハ調のオカリナでは、下のラからドレミファソラシドといって、あと上のファまでだ。やはり他の音域のオカリナも欲しくなって、ソプラノのへ調、ト調、アルトのへ調、ト調、そして、一オクターブ上のハ調、下のハ調と買った。さらに、ネコリナなるものがあると聞いてこれも買った。猫の絵が描かれている。かわいいが、演奏中にその猫と目が合うと笑ってしまうので、ちょっとこまりものだ。
 木のオカリナがあると聞いてネットで申し込んだ。「今井ピアノ」が発売元だった。ご主人が学生センターまで届けてくれた。なんと知り合いの今井恵さんだった。今井和登牧師の息子さんで、宝塚市外国人市民文化交流協会などで活躍されている。今井さんは、私がそのことを知って申し込んだと思ったらしい。
 オカリナ友だち(オカ友)も増えた。第一回神戸オカリナフェスティバルのとき偶然横に座っていた青山博さんとは今もときどきゆる~~い「六甲オカリナ会」でごいっしょだ。私のように常連になるとオカ友も多い。

●三
 
 私は音楽が好きな方だ。小学生(湊山小学校、廃校になった、寂しい)のときはコーラス部で、テレビに出演したこともある。 中学からは器械体操部だが、体育館で練習中のブラスバンド部にも出入りして、クラリネット、トランペットなどを吹かせてもらった。私は一日目からドレミファソラシドが吹けたのだ。ほめられてよろこんだ。
 また、メロディーを覚える能力が卓越?している。娘とトルコ行進曲の話になり、私が鼻歌、最後までできて娘に尊敬?された。子どもの時、姉がよくピアノで弾いていたのを覚えていたようだ。オカリナ練習用に『オカリナ名曲集―CD+楽譜集①②』を買ってよく練習したが、次の曲の名前はでてこないのに、メロディーはけっこうでてくるのだ。
 で、鼻歌的にメロディーを覚えるのは得意で、だいたいそれがドレミで聞こえる。完全な「相対音感」保持者だ。ハ調で「チューリップ」をドレミドレミと歌えるが、それをト調でソラシソラシとは、気持ち悪くて歌えないのだ。(これはややこし、すみません)
 一方絶対音感者は、「たなかさ~ん」という音、電車の発車の合図も、音程としてのドレミで聞こえるというもの。子どもの時のピアノの音程が正しくなく、間違った絶対音感を身(耳?)につけてしまったという話も聞いたことがある。
 なので私は、レパートリーは多い。あくまでレパートリーだけだ。オカ友はそれをうらやましがる。そして、「ドレミ論争」に発展?する。「相対音感」保持者の私は、ドレミで歌ってから分からないときに楽譜を買ったり、書店でのぞいたりする。(だから?、曲の途中での転調が苦手だ。訳が分からなくなってしまうのだ。)
 私は、どんな曲も相対音感のドレミで暗譜したらそれで終わりだと主張する。それが分かってもらえないのだ。鼻歌の延長線上にそれをドレミで覚える。あとは、それで吹くのだ。
 オカリナは先に書いたように下のラから上のファまでしか吹けない。だが当然、その中に納まらない曲がでてくる。この一オクターブ半ほどの間で、フラット(♭)系のへ調ロ調でドレミを吹く(またややこしくなってきた)。学校で習った「ヘロホイニトハ」というやつだ。シャープ(#)系では、ト調ニ調、「トニイホロヘハ」だ。私は、猛練習?で、それぞれ三個ぐらいまで、ドレミ的に吹けるようになった。普通の歌ならだいたいこの範囲で吹けるようだ。これまで一番音域の広いのは「イムジン河」。へ調で吹いて、下のラ(ミ)から上のファ(ド)まですべて使うことになる。(けっきょくドレミ論争はこの辺でいやになって終わる‥‥)
 あるオカリナ会で、私は「埴生の宿」をつぎつぎに転調して吹いて感心され、優越感にひたったことがある。
 最近はオカリナ熱がだいぶ低くなってきたが、最初のころ、娘の小中高の音楽の教科書からYMCAのキャンプソング集などを片っ端から見て、曲目一覧を作り、何調で吹いたらその曲が吹けるかを記録した。以下のような具合だ。

C 野に咲く花のように、8シ
F BELIEVE(生物地球紀行)、レ8シ
F TOMMOROW、ミ8シ、
G この広い野原いっぱい、8シ
C 若者たち、⑧
F 贈る言葉、レ8
F 遠くへ行きたい、ミ8
F 竹田の子守唄、⑧
F 遠い世界、⑧
F 岬めぐり、レ8
F 少年時代(夏が過ぎ‥‥)、⑧
F 空も飛べるはず、レ8
F Love Love Love、ミ8

 解説が必要だ。最初のCFは、ハ調へ調。「ミ8シ」は、上のミとドレミファソラシド、そして下のシまでで吹ける。⑧は、ドレミファソラシドだけで吹けるということだ。その一覧表には、四百曲ぐらいはあると思う。必要な方には、メールでお送りすることができる。

●四
 
 神戸オカリナフェスティバルは、阪神淡路大震災の復興の意味をこめて、二〇〇一年に始まり、その後も毎年開催された。全国的にみても規模の大きいオカリナのイベントで、年々エントリーが増え、抽選となった。でも私は、くじ運が強い。
 全記録を総括すると、二〇〇一年から二〇一九年まで全一九回、ただ二〇〇四年だけ南京・大連・旅順ツアーと日程が重なりエントリーできなかったが、当選一七回、落選一回、打率九割四分一厘。すごい成績だ。これで人生の福を使い切ってしまったかもしれない。(もうひとつ、一九九〇年正月、宝くじ一〇万円が当たっている。もうだめだ・・・)
 ここで、私の広いレパートリーを誇示するために、二回目以降の曲目を記す。

 二〇〇二年 ノドゥル川辺(朝鮮民謡)、さらば青春
 二〇〇三年 星の世界、空も飛べるはず、遠くへ行きたい
 二〇〇五年 さとうきび畑、芭蕉布、涙そうそう
 二〇〇六年 「冬のソナタ」メドレー
 二〇〇七年 酒と泪と男と女、川の流れのように
 二〇〇八年 さらば青春、愛燦燦
 二〇〇九年 高校三年生、学生時代
 二〇一〇年 ラストダンスは私に、サントワ マミー
 二〇一一年 虹と雪のバラード、空よ
 二〇一二年 Top of the world、ジャンバラヤ
 二〇一三年 北へ、北帰行、北の国から
 二〇一四年 ウエスタンメイドレー(聖者の行進、赤い河の谷、線路は続くよ、峠の我が家、You are my sunshine)
 二〇一五年 芭蕉布、さとうきび畑、涙そうそう
 二〇一六年 さらば青春、シクラメンの香り
 二〇一七年 ヘッドライトテールライト、時代
二〇一八年 落選(曲名ではありません)
二〇一九年 大空と大地の中で、空も飛べるはず

 それなりに?吹けた。すべて無伴奏なので、適当に初めて、適当に終わることができる。

●五

 このフェスティバルにこられたオカリナの先生が、私のことを自身のブログ「いろいろ噺」に書いてくれた。とてもうれしい内容なので、全文を引用させていただく。題は、「独奏仕様的心臓」。(二〇〇九年九月五月)

「いったい、オカリナフェスティバル in 神戸の大舞台にたった一人で上がってオカリナを吹こうという方の心臓の構造は、ふつうのオカリナ人とは違っているのだらふか。/それとも、心臓の材質自体が異なっているのだらふか。/あるいは、何かが生えているだけなのだらふか。/いずれにしてもこの「独奏仕様的心臓」の発動性能には、加齢はまったく関係なさそうなのだ。
 神戸文化ホールのとなりの公園。/毎年たくさんの出場者が練習している。/ときどきベンチでセンセイが寝ている。
 さて今年の神戸フェス、大合奏が多かった一方で独奏の人も目立ったように思った。/独奏の人は、たいてい上手だ。/で、世の中、上手な人はいくらでもいる。/その仲間入りをしたい人はその何倍もいる。うるさくてかなわん。/が、ただ上手になることだけを目指し、独奏仕様的心臓の性能向上を図り、腕を披露したくて己一人で舞台に立つのではない人もおられる。
 先日の神戸フェスの一日目が終わりに近づいた頃。/十五年前の第一回からずっと無伴奏ソロ演奏で出場しておられるご主人が登場された。/この場で聴かせていただくのはずいぶん久しぶりだったが、その演奏のお変わりぶりに驚いた。/もちろん年を重ねるごとに上達していかれるのだが、音が固いなぁ、無駄な力がなかなか抜けないなぁという印象は変らなかった。/それが、このたびの変貌ぶりはどうだ。/なんというやわらかな音色。/それはやわらかな立ち姿、そしてその背景のやわらかな心から発しているように思われた。/もちろん無駄な力は心身からすっかり抜けている。
 舞台のご主人に平常心をもたらしたのは独奏仕様的心臓のスペックの向上であること、そしてそれが無駄な力が抜けたことに密接な関係があることは想像できる。/どんな場面で何をするにつけても、無駄な力が抜けて悪いことは何ひとつない。/だからご主人の無駄な力が抜けた背景については、無駄な詮索無意味な想像はすまい、南無意味陀仏。/では、独奏仕様的心臓の性能は、果たしてこれで十分なのだろうか。
 オカリナ演奏において無駄な力を抜く事は、ピッチと音色と運指の安定のための必須事項であることは、何度でも強調されていいと思う。/無駄な力は、前世からの呪縛のように指に、腕に、喉や唇や舌にまとわりつき、わたしに取り憑き葬り去らんばかりだ。/が、無駄な精進をやめた日から、それは少しずつ抜け始める。
 無駄な精進こそ無駄な力の根源。/ご主人のプログラム掲載用メッセージもそれを裏付けていた。たぶん。/よって、無駄な力が入るのは前世の不始末とは何の関係もござらん。/「汝の今生の悟りの至らなさゆえのことである、喝」との音声がわたしの穢れた性根に響いてきそうだ。/されど、このご主人さんのようにいつしか悟りの道を聞いて、深い覚悟を胸にただひとり静かに舞台に進み礼拝の如くに演奏を始めることができたとしても、己の意に反して「力」が抜けてしまった場合、往々にして困った事が起こる。
 さて、中音部が続く出だしの八小節ほどを、ご主人は無駄な力が抜けた、やわらかな心を解きほぐす音色で奏で続けられた。/そして、曲はいよいよ高音部にさしかかった。/と、高い do の音が、低い。/もう一回高い do の音‥‥、低い。/ああ、むずかしいなあ、無駄な力が抜けたら、必要な力まで抜けちゃった。
 二コーラス目、少しずつ気合いが入りテンションが上がり、音色に輝きが増してきた。/高い do の音、出た。/もう一回高い do の音‥‥出たっ。/最後は低いドの音‥‥ううっ‥‥、高い~~~~~。/ああ、むずかしいなあ、気合いが入ったら無駄な力も入っちゃった。
 どうやら、大舞台で平常心で吹くという境地に至るまでにスペックアップしてやわらかな音色の誕生に貢献したご主人の独奏仕様的心臓にして、パワーを必要な時だけに必要十分に供給するように制御できるようになるには、さらなるお修行の歳月が必要なのやもしれない。/今生で極楽浄土の音色を奏でんがため、共に悟りの道を歩み続けませう、摩訶般若腹満多。/来年も再会を楽しみにいたしております。/おしまい。」

●六

 そして、二〇二〇年、また神戸オカリナフェスティバルにエントリーしたがコロナで中止となった。残念。練習する気もなくなる。そして、こうしてオカリナエッセイを書いている。またそのうち、復帰したいと思っている。

■あとがき
 「コロナ自粛エッセイ」その七まで書いた。七のあとがきに「もう少しこのエッセイが続くことになる」と書いた。が、やめることにした。きりがないのだ。実は、この一二月に社会評論社から一~七が単行本として出版されることになった。冊子版は無料だったが、単行本版は有料、覚悟をよろしく。
 だが、エッセイがなくなるとさびしい。で、方向転換して、趣味系に移ることにした。私は「ゆうさんの自転車/オカリナ・ブログ」を作っているが、もともとこれはオカリナエッセイを書きたいと思って作ったものだ。そのエッセイはあまり書かなかったが、ここで一挙に書くことにしたのだ。
 この趣味系路線では、実はまだテーマがあるのだ。乞うご期待。アメリカ大統領選も終わりトランプ時代も終焉したので、あとは、コロナ時代が終わることを願うのみである。

          二〇二〇年一一月一〇日         飛田雄一

著者 飛田雄一(ひだ ゆういち)
一九五〇年神戸市生まれ。神戸学生青年センター理事長、むくげの会会員など。著書に『日帝下の朝鮮農民運動』(未来社、一九九一年九月)、『現場を歩く 現場を綴る―日本・コリア・キリスト教―』(かんよう出版 二〇一六年六月)、『心に刻み、石に刻む―在日コリアンと私―』(三一書房、二〇一六年一一月)、『旅行作家な気分―コリア・中国から中央アジアへの旅―』(合同出版、二〇一七年一月)、『再論 朝鮮人強制連行』(三一書房、二〇一八年一一月)『時事エッセイ―コリア・コリアン・イルボン(日本)―』(むくげの会、二〇一九年五月)、『阪神淡路大震災、そのとき、外国人は?』(神戸学生青年センター出版部、二〇一九年七月)ほか。
 コロナ自粛エッセイは、①極私的 ベ平連神戸事件顛末の記、②極私的 阪神淡路大震災の記録、③極私的 「コリア・コリアンをめぐる市民運動」の記録(二〇二〇年七月)、④極私的 南京への旅・ツアコンの記(二〇二〇年八月)、⑤極私的 「青丘文庫」実録、⑥極私的 「六甲古本市」全?記録(二〇二〇年九月)、⑦極私的 ゴドウィン裁判 初・原告団長の記(二〇二〇年一〇月)


コロナ自粛エッセイ・番外編①
オカリナ・ことはじめ

二〇二〇年一一月一五日発行
著者・発行者 飛田雄一 hida@ksyc.jp
〒六五七―〇〇一一
神戸市灘区鶴甲四丁目三の一八の二〇五


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