正月も一段落。七草粥の日だ。
でも私は七草がゆを食ったことがない。そういう習慣はわが家にはない。昔から。
なんでだ。理由は簡単。もう暇ではない。通常の生活にとっくに戻っている。
小学生のころから正月と言っても、ビニルの開け閉めが必要だったので、朝10時頃になると、父から「ハウス開けてこい」の命令があり、夕方4時地には「閉めてこい」の指図があった。両親はもちろん私の数十倍も農業に携わっていたから毎日が忙しかった。
なんでうちだけ。農業はしたくないの気持ちが大きくなったのは、今でもわかる。
よそはいいなあ。正月はお年玉がもらえると言うし、普段の日でも、お小遣いがあるという。勤め人といった、と思うがその家の友達がうらやましくてたまらなかった。
冬の寒い日、早朝風が強くてビニルトンネルが吹き飛びそうになったことがあった。
私がも弟も動員されて、ビニルを押さえに行ったのを覚えている。どうして治まったのかは覚えていない。
その時初めて父が言った。すまんな。寒いときに百姓じゃなかったら、こんな加勢はせんでよかったかもしれんが、と。
父は農業高校を卒業してすぐ就農したが、勉強は少しできたらしい。県内の国立大学への推薦も進められたしいが、父は農業に進んだ。
だから両親とも勉強を私に勧めた。
両親への気持ちもあって、私も勉強はしたかな。
でも、就職して、少しがんばって、退職して、帰農して農業と本を読んだりすこしだけ文章を書いたりの生活になった。でも、今が一番落ち着いている気がする。年のせいもあるが、一番性に合っているのかな。
両親とわが家に感謝しよう。もちろん今の家族と友達にも。
2025年
七草がゆの日に。
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